石破茂の父で自治大臣を務めた石破二朗氏=1980年8月

高市氏を「救った」石破氏の支援者

 この二朗氏とのつながりで、実は石破氏と総裁選で争った高市氏は奇妙な“縁”を結ぶことになる。地元後援会関係者はこんな秘話を明かす。

「二朗さんの参院選のお手伝いをしていた森山亮夫さんという人がいたのですが、森山さんは茂さんが29歳で初当選するときから石破事務所の責任者、いわば“家老”として支え続けたんです。森山さんは茂さんが5期になるくらいまで支えていました。しかし、次第に茂さんと対立することが多くなり、石破事務所を辞めてしまったんです」

 その一方、当時から森山氏は高市氏と縁があったという。

「キャスターから政界入りした高市さんは、最初は苦労されて、自民党比例近畿ブロックで当選したのは議員になって3期目でした。最初の選挙では無所属で落選、それ以降は無所属や新進党で当選し議員活動をしていました」(同)

 森山氏と高市氏がしっかりと結びついたのは、高市氏が2003年11月、自民党から奈良1区で出馬し、落選した頃だった。

「高市さんが落選した時、森山さんは奈良にアパートを借りて、選挙のテコ入れをし、高市陣営の組織づくりにも尽力した。そのかいもあって、次の衆院選では高市さんが当選を果たしたんです。森山さんが高市さんを救ったのです。それ以来、高市さんは森山さんに感謝していました。10年くらい前、森山さんが体調を崩し鳥取で療養生活を送っていた時、高市さんがお見舞いに来られ、『あなたのおかげで今の私がある。ありがとうございます』と声をかけたそうです。それから間もなくして、森山さんはお亡くなりになりました」(同)

 そして、こう続ける。

「森山さんは人生の多くを石破父子にささげた。そしてまた、高市さんの当選も支えた。森山さんを通じて2人には不思議な縁があったんですね。その2人が今回の総裁選で戦った。何か大きな運命を感じると同時に、森山さんは天国からどんな気持ちで眺めていたのかなと思いました」(同)

 さまざま先人たちの思いを乗せて船出した石破政権。臨時国会が召集されて即時の解散表明はすでに批判を浴びているが、石破氏は首相としてこれから“筋”を通すことができるのか。日本中が注視している。

(AERA dot.編集部・上田耕司)

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