事務所に集まった支援者と握手して感謝の思いを伝える石破茂氏の妻・佳子さん(右)=2018年9月

地元事務所は「お祭りムード」

 総裁選で最後まで争った高市氏は党総務会長を打診されたが固辞したとされる。今村氏は高市氏の心情をこう推察する。

「高市さんにしてみれば、そんなお情けなんていらないよ、ということなんでしょう。よっぽど悔しいんだよ。応援してくれた人たちがあんなに大勢いるんだから、人事を受け入れて『何やっているんだ』と言われるのがイヤなんでしょう。だから意地でも戦っている姿勢は見せておくということだと思います」

 鳥取市の石破事務所は、お祝いの花で埋め尽くされていた。総裁選の翌日、事務所に応援で来ていた自民党の山本暁子県議はこう話す。

「地元の悲願でしたので、会う人、会う人、お祭りムードです。自民党員以外の方も『おめでとうございます』と事務所に立ち寄ってくれます。事務所に『石破かかし』が置いてあるんですが、その前で親子連れが写真を撮ったりされています」

 石破氏の実家のある、鳥取県八頭町は田園地帯で、秋の収穫期には、かかしが多いのが風物詩。山本県議によると、

「『石破かかし』は、若い頃の石破さん似です(笑)。地元の方が作ってくれて、それが事務所の中に置いてあるんです」

 この八頭町は石破氏の実家であり、地盤でもある。石破氏の父・二朗氏は八頭町の出身で、鳥取県知事を15年間務めた後、1974年、参院議員に当選。自民党田中派に所属し、自治大臣に就任したが、わずか5カ月で病魔に襲われた。石破氏の元秘書で元鳥取県議の中尾亨氏はこう振り返る。

「二朗さんは知事時代に『ツバメと県民は知事室へ』という言葉をスローガンにして、情報公開が不十分だった時代に、県民の声に耳を傾け、知事室を開放していた。二朗さんが亡くなった時には、田中角栄さんがヘリコプターで鳥取まで来てくれました。そのくらい、角栄さんにとっても、大事にしていた人だったんです。その二朗さんの息子ですから、やはり国会議員も党員・党友も、石破茂さんという人をずっと見ていたんだと思いますよ」

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高市氏は「あなたのおかげで今の私がある」