哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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自民党総裁選の候補者9人のうち6人の最終学歴がアメリカの大学または大学院だということに気がついた。なるほど、今の日本の政治エリートは「最終学歴はアメリカ」がデフォルトになったのだと知った。富裕層では、中等教育からの海外留学がもうふつうである。
どこで高等教育を受けようと、個人の自由だ。他人が口を出すことじゃないと言う人がいるかもしれない。せっかく海外で質の高い教育が受けられるのに、何が悲しくて質の低い日本の大学に行かなければならないのか、と。だがこれは「高等教育のアウトソーシング」であり、それが意味するのは「高等教育の空洞化」である。
国産の農作物よりも安くて質の良い農作物が海外から輸入できるなら、国内に農業がある必要がないというのと同じである。そのロジックが日本の農業の空洞化をもたらした。
だが、「グローバリスト」たちは「必要なものは、必要な時に、必要なだけ市場で買える」わけではないということを忘れている。戦争でもパンデミックでも円安でも、「必要なもの」はいきなり入手不能になる。それはコロナの時の医療資源の枯渇で思い知ったはずではなかったか。
教育も医療もエネルギーも農作物も「それなしでは集団が生き延びてゆけないもの」である。そういうものは自給自足が原則である。たしかに困難な目標ではあるが、「それなしでは生きてゆけないもの」は自給自足を目指すべきなのだ。
この四半世紀、日本の大学の学術的な生産力は目に見えて衰えた。為政者自身が日本の高等教育を世界最高レベルのものにして、子どもたちが海外に出る必要がなくなる日が来ることを別に願っていないのだから当たり前である。
ハーヴァード大学の学費は年額5万6550ドル(約800万円)である。生活費を入れて子ども一人に毎年1千万円仕送りできる家の子どもしかアイヴィー・リーグに留学できない。それができる富裕層たちは「日本の大学のレベルがどうなろうと俺は知らんよ」と思うだろう。そういう人たちが今教育政策を起案しているのである。亡国の兆しと言う他ない。
※AERA 2024年10月7日号