注目対局や将棋界の動向について紹介する「今週の一局 ニュースな将棋」。専門的な視点から解説します。AERA2024年9月30日号より。
【写真】JR大曲駅構内で除雪車両を運転し、指さし確認をする藤井聡太八冠
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「あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲(たた)きつけてやった」
夏目漱石作の小説『坊っちゃん』では、主人公が兄と将棋を指して腹を立てる場面で、そんな記述が見られる。
2024年7月、将棋が登場する文学作品、将棋をテーマにした評論など34篇を集めたアンソロジー『将棋と文学セレクション』(矢口貢大編、秀明大学出版会)が刊行された。将棋好きであればおそらく、江戸時代の滝沢馬琴から、昭和の太宰治たちまでどこのページを開いて読み始めても面白く、また多くの発見があるだろう。
9月16日、東京・新宿の紀伊國屋書店において刊行記念トークイベントがおこなわれた。登壇した糸谷哲郎八段は同書の中で特に印象に残った作品として吉井栄治(1913−90)作の将棋小説『北風』(1950年上期直木賞候補作)を挙げていた。吉井は朝日新聞紙上で名人戦などの観戦記を長く書き続けてきた、知る人ぞ知る名記者だ。この吉井に惚れ込んだ小笠原輝(将棋めし研究家)らは、いまでは読むことすら困難になっていた小説を掘り起こしてきた。そうした推薦者たちの「推し」への愛が感じられるのも、本書の大きな特長だろう。
「新聞のコンテンツとしての将棋は、漱石の文学作品にとっては、ともに紙面を盛り上げる仲間であり、記事としての魅力を競い合うライバル的存在でもあった」(小谷瑛輔・明治大学教授)
いまから百年以上前、朝日新聞で漱石の小説が連載されていた頃、将棋の対局の模様もまた伝えられるようになっていた。
「将棋と文学は近代において並走して進んできた世界だと思います」
羽生善治九段は帯にそんな一文を寄せている。両者の関係は、この先もおそらく変わらないだろう。(ライター・松本博文)
※AERA 2024年9月30日号