2012年に出版されてベストセラーになった『置かれた場所で咲きなさい』。咲かない時も日々を積み重ねてきた人たちにこの言葉はどう響いているのか。AERA 2024年9月23日号より。
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「56年生きてきて、今なら『置かれた場所でがんばったな』と思える」
関東地方に住む看護師の女性(56)は、半生を振り返ってこう話す。
実家は自営業で、経営が苦しい時期と大学進学時が重なった。両親は2人の弟の進学を優先させるため、女性に「大学は諦めて」と言った。
担任の勧めで費用が安かった看護専門学校に進学。看護師になって最初に勤めたのは子ども病院のNICU(新生児集中治療室)だった。
500グラム前後で生まれた赤ちゃんは、少しでも具合が悪くなると顔が真っ青になり「死んでしまうのでは」と心配になった。亡くなる子もいたが、成長して退院していく子を見送れる喜びもあった。
ただ、「なりたくてなったわけではない」という気持ちは消えなかった。バブル景気の中、楽しそうに大学生活を送る同世代が羨ましかった。しかし深く考える暇もなく、毎日を必死で生きてきたという。
東日本大震災の翌年
看護師を辞めて違う職に就く人もいた。自身も他の道を考えなかったわけではない。でも、勤務先や働き方は何度か変えたものの、いまも看護師を続けている。「他の人から見たら『転職する勇気がなかった』と思われるのかもしれません。でも、葛藤しながら時間が過ぎていったのです」
離婚した元夫は、女性とは真逆で「咲ける場所は探すべき。一度きりの人生に我慢は不要」という考え方をする人で、転職を繰り返した結果、最後には就く仕事がなくなった。元夫を見ていて「自由だな」と羨ましく思う一方、「良いところだと思えるかどうかは、自分の心の問題なのでは」とも感じていたという。
『置かれた場所で咲きなさい』が出版されたのは2012年。前年に起きた東日本大震災の影響が続き、原発は一時稼働ゼロに。消費税を5%から段階的に10%まで引き上げる消費増税法が成立し、年末には自民党が政権を奪還した年だった。
著者の故渡辺和子さんは9歳のときに二・二六事件で父親(陸軍教育総監・渡辺錠太郎)を殺され、ノートルダム清心女子大学学長などを務めた修道女。同書の「はじめに」で「修道者であっても、キレそうになる日もあれば、眠れない夜もあります」と吐露し、「咲けない日があります。その時は、根を下へ下へと降ろしましょう」と書いた。
冒頭の看護師の女性は「私はいまも根を張っているとは思わない」と話す。ただ、願った通りにならなくても焦らずに生きていくことも必要では、と考えているという。