2019年9月、ロシア・ウラジオストクで開催された東方経済フォーラムで固い握手をする安倍晋三首相(当時)とプーチン大統領。安倍氏は演説で「君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう、プーチン大統領」と述べた。(写真は首相官邸Facebookより)

 ロシアによる戦争犯罪というと、まずは一般住民の殺害や拷問、あるいは発電施設など民生インフラに対する攻撃などが思い浮かぶ。しかし、子供の連れ去りも極めて重大な戦争犯罪だ。それだけでなく、プーチン氏が始めた今回の戦争の本質と深く関わっている。

 ロシアによって連れ去られた子供たちは、ロシア人と養子縁組してロシア国籍を付与されたり、ロシアで「愛国教育」を受けさせられたりしている。つまり、ウクライナの子供をロシア人に造り替えるという意図が、連れ去りの背景にあるのだ。

 プーチン氏はかねて、ロシア人とウクライナ人は、本来同じ民族だと主張し、ロシアから離れて欧米に近づこうとするウクライナ人のことを「ネオナチ」と呼んできた。

 プーチン氏は22年2月の開戦時、ウクライナに侵入したロシア軍が「ネオナチ」ではない一般のウクライナ人からは歓迎されると思い込んでいた節がある。

 ところが実際には歓迎どころか、ウクライナからの頑強な抵抗に直面した。22年末にプーチン氏は、ウクライナ人は西側から「洗脳」されていると嘆いた。

 組織的な子供連れ去りの狙いは、まだ柔軟な子供たちの「洗脳」を解き、模範的なロシア人として育てることにあるようなのだ。実際には、これこそがロシアによるおぞましい「洗脳」にほかならない。

 民族としてのウクライナ人の存在を認めない姿勢と、子供たちを対象にしたロシア人化は、「民族浄化」という言葉を思い出させる。

 実際、子供の連れ去りは、その意図によってはジェノサイド(集団殺害)と認定されることもある重大犯罪だ。1951年に発効したジェノサイド条約は、第2条で「民族的または宗教的集団を全部または一部破壊する」ことを目的として「集団の児童を他の集団に強制的に移すこと」がジェノサイドに該当すると明記している。ロシアがやっていることは、この条項に抵触する可能性がおおいにあるだろう。

 念のために付言すれば、2023年3月のICCによるプーチン大統領に対する逮捕状の容疑は、ジェノサイドではなく、「住民の不法移送」という戦争犯罪だ。ただ、ジェノサイドに通じる問題の重大性が、国家元首への逮捕状発行という重い判断に影響した面はあるだろう。

 ウクライナ人という存在を認めず、ロシア人に同化させようというプーチン氏の意図がウクライナの人たちをどれだけ怒らせ、ロシアへの憎しみを心に刻んでいることか。

 22年に始まった戦争が、ウクライナ人の心に秘められていた民族意識を呼び起こしたことは間違いない。その意味では、プーチン氏が始めた戦争は、すでに失敗したと言える。この先いくら占領地を増やしたとしても、ウクライナの人たちの心を屈服させることはできないだろう。

ロシアから見える世界 なぜプーチンを止められないのか (朝日新書)知られざるプーチンの世界観とロシア国内の認識とは―― プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。
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駒木明義

駒木明義

朝日新聞論説委員=ロシア、国際関係。2005~08年、13~17年にモスクワ特派員。90年入社。和歌山支局、長野支局、政治部、国際報道部などで勤務。日本では主に外交政策などを取材してきました。 著書に「ロシアから見える世界 なぜプーチンを止められないのか」(朝日新書)、「安倍vs.プーチン 日ロ交渉はなぜ行き詰まったのか」(筑摩選書)。共著に「プーチンの実像」(朝日文庫)、「検証 日露首脳交渉」(岩波書店)。

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