しかし、これらの経験は現役引退後、指導者として生かされることになる。06年にソフトバンクの2軍投手コーチに就任した高山は、09年から1軍投手コーチになり、11年にチーム防御率を12球団トップに押し上げた。

 さらに18年にオリックスで2度目の1軍投手コーチになると、強力投手陣を育て上げ、リーグ2連覇と昨季の日本一に貢献。何十年という長い歳月で見れば、故障を抱えたまま高校からプロ入りするよりも、充実した野球人生になったと言えそうだ。

 09年夏の甲子園で1年生投手の最速記録を塗り替え、「2年後のドラフト1位」と注目されたのが、帝京・伊藤拓郎だ。

 2回戦の敦賀気比戦の9回2死、リリーフで甲子園初登板をはたした伊藤は、4球目と5球目に147キロを計時。05年に大阪桐蔭・中田翔(現巨人)がマークした1年生の大会最速記録に並んだ。

 さらに3回戦の九州国際大付戦でも、歴代単独トップの148キロをマーク。「今の実力でもドラ1クラス」とプロのスカウトを色めき立たせた。

 だが、その後は球速にこだわってフォームを崩し、肘などの故障も追い打ちをかけて伸び悩んだ。3年夏の甲子園でも、1回戦の花巻東戦で、大谷翔平(現エンゼルス)に四球と死球を与え、4回途中5失点。1年時の輝きを取り戻すことができなかった。

 それでも伊藤は「プロ1本」に絞り、ドラフト当日を迎えた。なかなか名前を呼ばれず、「もう指名はない」とあきらめかけた矢先、12球団最後の72番目に横浜が9位指名。感激のあまり号泣し、「命を懸けるつもりでやる」と飛躍を誓ったが、夢は叶わなかった。

 経営母体がDeNAに変わった翌12年10月5日の巨人戦で1軍デビュー、同8日の広島戦でプロ初ホールドを記録も、2年目以降は出番がないまま、14年オフに戦力外となった。

 その後はBC群馬でNPB復帰を目指し、オーストラリアのウインターリーグでも活躍したが、現在は「年々向上心を持って、1年でも長く野球をやりたい」と社会人の日本製鉄鹿島でプレーを続けている。

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大谷翔平、藤浪晋太郎とともに“ビッグ3”と並び称された左腕