哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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島田雅彦『パンとサーカス』(講談社)が文庫化されるので、その「解説」を頼まれた。
『パンとサーカス』はアメリカの属国としてその支配と収奪の下にある日本を「独立」に導き、「自由日本」を築くために戦うテロリストたちの物語である。
日本でテロリストたちが政権転覆をめざすという小説を私はこれまでほとんど読んだ記憶がない。記憶を探っても村上龍の『愛と幻想のファシズム』しか思い出せない。
『愛と幻想のファシズム』は近未来の日本に鈴原冬二というカリスマ的指導者が登場して、秘密結社「狩猟社」を率いて、日本をファシズム国家に改造して、アメリカの軛から脱して、米ソと対抗するという物語であった(1987年にはまだソ連が存在したのである)。
それから40年間。日本はアメリカの属国身分に安住し、収奪されるままになっている。自民党の総裁選が今話題だが、日本の総理大臣が「属国の代官」であり、ホワイトハウスに「冊封」された官位に過ぎないということを日本人はみんな知っている。総理大臣になりたければ「日米地位協定の改定」や「沖縄米軍基地の縮小」を決して口にしてはいけないこともみんな知っている。
「国家主権の奪還・国土の回復」は独立国の最も基本的な国是であるはずだが、日本は主権国家であり、国内に外国領土などないという白々しい嘘の上に日本は成り立っているので、国家主権の奪還も国土の回復も決して政治課題になることがない。
『パンとサーカス』はそのような屈辱的な状況に慣れ切った日本人に対する「目を覚ませ」という作家からの挑発である。700頁の大部だが、疾走感のある文体のおかげで、読み始めると止まらない。この一作で日本が変わると思うほど私は楽観的ではないが、これに触発されて「主権国家である自由日本」がどのような姿の国であるかについて人々が想像力を発揮してくれることを私は切望する。
「今まで起きてきたこと以外のことはこれからも起きない」という思考停止のことを日本人は久しく「リアリズム」と呼んできた。この知的自閉を解き放つために今何より必要なのは想像力の暴走である。
※AERA 2024年9月9日号