おのでら・もえ/2003年、岩手県生まれ。4歳の時に発症した急性脳炎の後遺症で両脚が動かなくなる。中学2年の時に車いすレースを始め、21年3月の日本パラ陸上競技選手権大会で3種目制覇(写真/越智貴雄)
この記事の写真をすべて見る

 AERAの連載「2024パリへの道」では、今夏開催のパリ五輪・パラリンピックでの活躍が期待される各競技のアスリートが登場。これまでの競技人生や、パリ大会へ向けた思いを語ります。AERA 2024年9月9日号から。

* * *

 レーサー(競技用車いす)に初めて乗った時、それまで経験したことのない“風”を感じた。中学2年生の時のことだ。

「スピードが出た時の風を切る感覚。それが好きなんです」

 岩手県紫波町出身。町の陸上競技場は土のトラックなので、練習では30キロ離れた花巻市の陸上競技場に通う。

 サポートするのは、母の尚子さんだ。陸上の経験はないが、フォームのチェックやトレーニング内容の相談、遠征時の身の回りの世話まで、娘のアスリート生活を支える。

 中学3年生の時は、体調を崩して入退院を繰り返し、ほとんど練習ができなかった。大会に出場してもタイムは伸び悩んだ。しかも、岩手の冬は雪が積もるので、外で走ることができない。そこで尚子さんは、大きな決断をした。

「室内でも練習ができるようにローラー付きのトレーニングマシンを買いました。当時、岩手県でこのマシンを持っている人はいなかったので、情報を集めるだけで大変でした」

 そんな母の支えにこたえ、小野寺は高校生になってから頭角を現し始めた。

 その原動力となるのは、「負けたくない」という強い気持ちだ。小野寺は自身の性格を「負けず嫌い」と言い、尚子さんも「日本でも世界でも、負けると誰よりも悔しがる」と話す。ユースの国際大会で外国の選手に負けると、帰国後はさらに練習に打ち込むようになった。

 そんな二人の夢は、次第に「パラリンピックでメダルを獲ること」に変わっていった。パリ大会に向けては、肩甲骨を強化するトレーニングに重点的に取り組んできた。

「肩甲骨の可動域を広くして瞬発力を上げて、レーサーをこぐ時のハンドリングも強化していきたい」(小野寺)

次のページ