「言葉もなく、悲しそうな表情でご覧になっていた」
社長の千代川茂さんは両陛下に、5年後にはまた震災前の砂浜に戻ると思っていること、そして「お越し下さい」と伝えた。翌日の帰り際、皇后さまが千代川さんに声をかけた。
「5年後ですね」
5年後の2021年は、震災から10年の節目だ。
退位された後も私的なご旅行でいらっしゃることがあるかもしれない。千代川さんは、万が一の5年後に備えて、お二人の歌碑を建設しようと考えた。両陛下が訪れた日を、「平成」の元号で記録する予定だ。
【未収録秘話/200人の中からひとりの姿を見つけた天皇陛下】
中田絢子記者は、こんなエピソードを紹介する。
1991年の雲仙・普賢岳噴火災害発生当時、長崎県島原市長を務めていた鐘ケ江管一さん(87)は、「両陛下には、8回ほど拝謁していますが、1回1回のお話をよく覚えてくださっていた」と明かす。
鐘ケ江さんは噴火災害から約1カ月後に両陛下が現地を見舞った際、現地を案内した。復興状況の説明を求められ、上京して御所に上がったこともあった。
驚いたのは、鐘ケ江さんが市長を退任後の93年、皇居での清掃ボランティア「勤労奉仕団」に参加した時のことだ。約200人とともに両陛下と対面した場で、両陛下は鐘ケ江さんを見つけ、歩み寄った。
「ご本をありがとう」
実はこの対面に先立ち、鐘ケ江さんは著書「普賢、鳴りやまず―ヒゲ市長の防災実記763日」を、宮内庁を通じ、両陛下に贈っていた。皇后さまは、同伴した長女の紀宮さま(黒田清子さん)に「この方がヒゲの市長さんで、本を出されたのよ」と紹介してくれた。
鐘ケ江さんが直近で両陛下と会ったのは2014年秋の諫早国体の時だ。長崎県県議ら約20人がホテル玄関で出迎えに並ぶなか、両陛下は鐘ケ江さんの前でパッと足を止めた。皇后さまは「ご病気でおられると聞いておりましたが、お元気そうでよかったですね」と健康を気遣った。数年前にくも膜下出血で倒れたことを、把握していた。
復興状況の説明にあがった時はいつも微に入り細に入り、住民の生活状況についての質問があった。鐘ケ江さんには、両陛下が長い間、ずっと気遣ってくれていることが伝わってくる。(肩書は当時、文中一部敬称略)
(構成/本誌・永井貴子)
※週刊朝日オンライン限定記事