『DIXIE CHICKEN』LITTLE FEAT
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『MORRISON HOTEL』THE DOORS
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『Unpainted Faces ヘンリー・ディルツ写真集』
『Unpainted Faces ヘンリー・ディルツ写真集』

 1960年代前半から70年代後半にかけて、広い意味でのロサンゼルス地区から登場した、あるいはロサンゼルスをベースに活躍したアーティストたちを紹介しているこのWEB連載も、想定している回数でいうと、もう半分を書き終えてしまったことになる。サンタモニカの明るいビーチや、サンセット・ブールヴァードの賑わい、ダウンタウンの闇の部分のようなもの、そこを走り抜けていく道のイメージなども感じながら読んでいただけているものと勝手に思い込んでいるのだが、今回は、ここまでに取り上げられなかった「ちょっと意外なアーティスト」に触れてみたい。

 まずは、カーペンターズ。僕自身は正直なところ、苦手なタイプだが、とりわけ日本の洋楽ファンのあいだで高い人気を得た彼らは、今も多くの人たちから愛されている。しばしばテレビやラジオで組まれる特別プログラム、繰り返される再発売とベスト盤企画などは、その、一般的なレベルでの人気を示すものといえるだろう。

 リチャード・カーペンターは1946年、妹のカレンは1950年、ニューイングランド地方コネティカット州で生まれている。東海岸の出身だったわけだが、リチャードが17歳のころ、一家はロサンゼルス郊外のダウニーという町に移り、彼は本格的に音楽を学ぶため、カリフォルニア州立大学に進んでいる。その後、いくつかのバンドで経験を積んだリチャード(ピアノとアレンジ、作曲)とカレン(ヴォーカル、ドラムス)は、当時の大手A&Mレコードに認められ、69年の秋、最初のアルバムを発表している。そして翌年、(ここはあえてよく知られた邦題で書こう)《愛のプレリュード》と《遥かなる影》を収めたセカンド・アルバムで一躍トップ・スターの地位を確立してしまったのだった。70年度のグラミーでは、エルトン・ジョンら並みいる強敵を押えて、グラミー賞最優秀新人に選ばれている。

 興味深いのは、彼らがロサンゼルスにいながら、同時期に進行していた新しい音楽の波をほとんど受け止めていなかったこと。意識的に避けていたようでもあり、ロック・アーティストの曲も意欲的に取り上げているが、そこからは、見事に毒気が抜かれていた。もともとはディレイニー&ボニーの曲だった《グルーピー》を、《スーパースター》というタイトルでカヴァーしたときには、to sleep with youという刺激的な歌詞をto be with youに変えることで、カレンのイメージにあわせたりもしている。

 60年代半ばから93年に亡くなるまでの約30年間、柔軟な姿勢で幅広いジャンルに取り組み、膨大な量の作品を残したフランク・ザッパも忘れられない。彼もカーペンター兄妹と同じく、大西洋側の生まれ。やはり、のちに家族でカリフォルニアに移り、モンタレーやサンディエゴ、エコパークなどで少年期/青年期を過ごしたあと、サンバーナーディーノ郡のランチョクカモンガという町(LAダウンタウンの東約60キロ)で本格的な創作活動を開始している。

 以来、ザッパの活動母体となったマザーズ・オブ・インヴェンションには数多くの優秀なミュージシャンが参加し、彼は指導者としての役割もはたしていくことになるのだが、そのなかの一人にローウェル・ジョージがいた。ハリウッド生まれの彼は、68年にマザーズに入り、2枚のアルバムに貢献したあと、翌年ロサンゼルスで、やはりマザーズの一員だったロイ・エストラーダ(ベース)とリトル・フィートを結成。メンバーを強化しながら、音楽性の幅を豊かに広げていき、73年発表のサード・アルバム『ディキシー・チキン』できわめて高い評価を獲得している(ただし、商業的成功という意味ではなく、このアルバムも日本ではしばらく「隠れた名盤」扱いされていた)。並行して、ジョージ、キーボード奏者のビル・ペインを中心に、メンバー全員がスタジオ・ミュージシャンとしても活躍し、70年代のロサンゼルス産音楽には欠かせない存在となった。バンドのカラーを守りながら、そのうえでほかのアーティストのセッションでも活躍する、新しいタイプのミュージシャンたちといえるだろう。

 最後に紹介しておきたいのが、ハワイ出身のグループで、60年代半ばにはロサンゼルスに拠点を移して活躍したモダン・フォーク・カルテットのメンバーだったヘンリー・ディルツ。

 ローレルキャオンやトルヴァドゥールを中心にしたサークルの一員となった彼は、そこで出会う人たちを、いつも持ち歩いていたカメラで撮りはじめた。もともと写真は趣味のレベルだったそうで、いわゆる芸術家タイプのフォトグラファーではないのだが、アーティストたちへの深いシンパシーが伝わってくるディルツの写真は、彼らからも愛され、CSNのファースト・アルバム、ザ・ドアーズの『モリスン・ホテル』、イーグルスのデビュー作と『デスペラード』など数多くのアルバムでジャケット撮影を任された。結果的にそれらは、70年前後のロサンゼルス音楽を記録した、貴重なヴィジュアル遺産となっている。 [次回3/30(水)更新予定]