7月18日、精神科医・藤野智哉さんは、著書『「そのままの自分」を生きてみる』2万部突破記念トークイベントに、「雑談の人」の桜林直子さんと登壇、「自分らしさ」「自分を大切にする」などをテーマにトークを展開しました。前後編の後編をお届けします!(※この記事はトークイベントの一部内容を編集・構成したものです)
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この記事の写真をすべて見るシングルマザーだから「いろいろとあきらめてきた」
桜林直子(以下、桜林):「上手にあきらめる」ということを、本の中に書かれてましたよね。私、「あきらめる」のがめっちゃ上手なんですよ。だからか、まわりの人にも「あきらめてくれ」と言うことがけっこうあるんです。子どもがいま大学4年生なんですが、シングルマザーで1人で育ててきたんですね。
とにかく手が足りないし時間がないから、もういろんなことをあきらめてきました。子どもに対しても「親が私だから、いろいろとあきらめて」と言ってきたんですね。よくある「いいお母さん」像みたいな、そういうものはごめん、あきらめて、と。そうすると期待値が下がるし、お母さん像みたいなものを持たないでいてくれるので。その代わり、私のやること、やらないことを、そのまま見てくれるという状況でした。すごく楽でしたね。私はこの「そのままの自分」っていうのを、子どもに対してすごくちゃんとできた感じがします。
藤野智哉(以下、藤野):家族間となるとよけいに難しいですからね。「理想の親」像みたいなものを持っている人は多いですし。家族が「あなたは親なんだからこうあるべき」みたいな謎の「理想の親」像を持っていたりして。
でも、親子関係であっても人と人との関係です。その謎の「べき思考」があるのは、どっちにも苦しくなるんです。例えば、「変な期待をしてしまう」場合、される側も苦しいですが、した側も「なんで期待どおりやってくれないの!?」となるわけです。だから、「あるがままを受け入れてやっていく」というのが、実はどんな人間関係においても大事だったりしますね。「あきらめる」というのは、「あるがままを受け入れる」こととも少し近いかなと思っています。
桜林:ですよね。「何かになろうとする」みたいなものがあると、しんどい。私も、お母さんがお母さんっぽいことを頑張っているのはわかってはいるものの、「いや、頼んでないし」とか「そんなイヤならやらなくていいよ」というのを子どもながらに思っていたので。その「お母さんをちゃんとやらなきゃ」という苦しそうな姿を見て、それでこっちに八つ当たりされるのはとばっちりだな、みたいな記憶があるんです。
親が思う「子どもにとってうれしいか」
藤野:お母さんの思っている「自分がこうしてあげるべき」というのは、子ども本人にとって嬉しいかどうかは難しいところがありますよね。僕は、中学高校と、お弁当を作ってもらう側だったのですが。親はなるべく「弁当を残さないように」とか「なるべく色合いを豊かに」といったようなことを頑張っていたと思うんですね。でも僕は、「コンビニご飯が好き」だったり、「茶色い弁当でいい」んですよね。そこは、本当はディスカッションが必要だったり、話し合ってみたら、「その『べき』って、実はそうじゃないよね」ということもあると思うんですよね。
桜林:私はお弁当を作っていた側でした。子どもの中学高校の6年間。とくに中学校の3年間は、毎日の昼がお弁当だったんです。つまり朝昼晩、自分の手にかかってるわけですよ、子どものご飯が。「給食があるからいいや」ができないから、けっこうプレッシャーなんですよね。ただ、その時の私は、サボろうと思えばいくらでもサボる自信があったので、サボらず、続けてお弁当を作るにはどうしたらいいかと考えました。
それで、インスタにお弁当の写真を撮ってアップすることにしたんです。娘には、「これは私の意地だから」と言って、「私がやりたくてやっているから、『やってくれている』って思わなくていい」という話もしました。
藤野:たしかに「これは私の意地です」と伝えておかないと、多分、お子さんのプレッシャーになりますよね。「これは親としてやってあげてる」というふうに言われてしまったら、「いらないな」と思っても、ちょっと言いづらくなってしまいますよね。だから、はっきりコミュニケーションを取るというのはめちゃくちゃ大事です。
桜林:そうですね。子育てをしているとき、時間がないから、そこを一番効率化したんですよね。「言う」ってことを。「ほんとはこうかもしれない」とか「こう言ったけど本当は違うんじゃないか」などと考える時間がまず無駄だと。とにかく「思っていることを言って」とすることで、時間を削減していたところがありました。楽でしたよね。子どもも私もたまたまお互い言える性格だったからよかったのもありますけどね。
藤野:多分みんなそうだと思うんですけど、時間ってないじゃないですか。僕は自分が仕事をして帰ってきて、 料理や皿洗いをできる気がサラサラしないんですよね。だからもう一生料理はしないと。
桜林:一生!?
藤野:いやいや、一生はわかんないですよ(笑)。ただ、今のところは、そう思っていて。一人暮らしを始めた18歳ぐらいからもう早々に気づいて。自分には向いてないと。あと、僕はふだんからペットボトルで水を飲んでるんです。これは、飲んだコップを洗いたくないからなんです。ペットボトルだったら、コップを洗う作業がなくなる。何かをしようと思っても時間がないとできません。時間があったり余裕があったりしないと。だから、どういうところを自分は削っていいのか、何がいらないのかを、しっかり考えていく必要があります。全部は手に入らない。
桜林:この本の中にも書いてありますね。何を捨てられるか、何を削れるかを書いてみてって。さきほどおっしゃってた「余裕がないとできない」っていうのを、わかったのは最近なんですけど、結局すべて余裕がないとできないんですよね。時間も心も経済的にも。ということはつまり、余裕を作るしかないんだなと。まず隙間を作るのが先なのかなって。
藤野:人間関係も、この人とはあんまり関わりたくないかなと思っていても、残している人はすごく多いですね。
もちろん余裕があるときはそれでいいと思うんですけど、もう「お疲れ度」が6、7割ぐらいまで来たら「飲み会は削る」とか、そういう基準も決めといたほうがいいかな、とも思います。ときめかないものは全部捨ててしまえみたいな(笑)。
桜林:こんまり的なね。でもあれも真理ですよね。結局、いらないものをいかに抱えてるか、というのは「物」だけじゃないですね。
藤野:ときめかない人間関係いっぱいありますからね。