
世界に挑み、激闘を繰り広げたが、惜しくも敗れたバスケットボール男子。司令塔・河村勇輝選手のアメリカでの挑戦が、4年後の躍進の鍵を握る。AERA 2024年8月26日号より。
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河村勇輝のプレーを見て、思わず「牛若丸……」とつぶやいてしまった。
河村は身長172センチ。2メートル級の選手がそろうバスケットボールのコート上では、ほとんどの場合、河村がいちばん小さい。しかし、パリ・オリンピックでは、試合に出ている10人の中で最もエキサイティングなプレーを見せた選手ではなかったか。
河村は初戦のドイツ戦こそ11得点にとどまったが、フランス戦は29得点、ブラジル戦では21得点と大車輪の活躍を見せた。
これまでも日本からは、ポイントガードのスターが生まれてきた。秋田・能代工業からアメリカの大学に進み、日本人として初めてNBA選手となった田臥勇太、高校時代からアメリカでプレーし、今大会でも主将を務めた富樫勇樹(3人とも名前に「勇」の字が入っているのは偶然にしては出来すぎている)。
2人も十分にエキサイティングな選手だが、オリンピックでの河村のプレーを見ると次元が違っていると感じた。スリーポイントシュートの正確性だけでなく、小柄ながらもゴール下へと切れ込んでいくスキル、勇気には大きな可能性を感じる。
23歳の河村はこれまで“飛び級”の成長ぶりを見せてきた。福岡第一高時代は全国大会で4度の優勝。高校生のうちにBリーグの三遠(さんえん)に特別指定選手として加入してB1リーグでの史上最年少出場、最年少得点記録を更新した。
2WAY契約できるか
オリンピックが終わってから、河村はNBA、メンフィス・グリズリーズのプレシーズン・キャンプに参加する。ここで安定的な得点力を示せば、シーズン中にNBAとマイナーリーグに相当するGリーグの双方を行き来できる「2WAY契約」に漕ぎつけられる可能性がある。グリズリーズの関係者がどんな評価をするのか、楽しみだ。