戦争を語り継ぐというと、もっぱら被害者としてのそれになりがちだ。肉親が戦死した、空襲でひどい目に遭った、と。そこにあるのは、無謀な戦争をした軍部と巻き込まれる国民という構図だ。
 騙されるほうだって悪い、といったのは、たしか伊丹万作。半藤一利の『B面昭和史 1926―1945』を読み、騙されるどころか、国民は大喜びで戦争に入っていったのだと知る。
 半藤には毎日出版文化賞特別賞を受賞した『昭和史 1926―1945』という厚い本があるが、そちらは政治や国際関係などを中心とした記述だった。じゃあ、その時代、庶民はどう暮らしていたのかというのが「B面」。裏面という意味ではなく、新聞でいうなら社会面や生活面、文化面。といっても、歴史探偵の語りはA面とB面を往ったり来たりしながら進んでいく。半藤は1930年、昭和5年に東京の下町で生まれた。戦前の昭和を実体験として知っている世代である。
 はたして庶民は戦争の被害者だろうか。本書を読んでそう感じたのは、たとえば1931年の満州事変から国際連盟脱退にいたるまでの記述。当時の景気はどん底。国会では「満蒙はわが国の生命線だ」と松岡洋右がぶち上げる。もともとは手相見が使う言葉だった「生命線」は流行語になり、国民は熱狂していく。
 新聞は陸軍の野望の応援団と化し(そこには台頭してきたラジオへの対抗意識があったとの指摘が興味深い)、国民を煽る煽る。国際連盟が満州に関し日本を批判すると、国民は大反発。新聞は国連を脱退せよといわんばかりに煽り、国民もまた熱狂する。こうして日本は日中戦争・アジア太平洋戦争の泥沼に入り込んでいく。
 軍人は戦争を望み、庶民は平和を求める、なんていうのは神話だ。実際は軍人と政治家とマスコミと国民が一体となって、嬉々として戦争をはじめたのだ。
 間違いを繰り返さないためにも、この本は味読再読すべし。

週刊朝日 2016年3月11日号