2015年8月に都内で千開かれた特別展「伝えたい あの日、あの時の記憶」を鑑賞した両陛下と愛子さま
2015年8月に都内で千開かれた特別展「伝えたい あの日、あの時の記憶」を鑑賞した両陛下と愛子さま

 昨年の8月15日、天皇皇后両陛下は、日本武道館で行われた全国戦没者追悼式に出席した。天皇陛下は、

「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い――」

 とおことばを述べた。

 天皇家の長女・愛子さまも戦後70年を迎えた2015年、ご両親と戦争体験者らから直に話を聞き、また戦後70年の特別企画展を訪れている。

 学習院女子中等科の卒業記念文集では、「世界の平和を願って」と題した作文を掲載し、平和への願いをつづった。

<原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた。ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた(略)>

 秋篠宮家も戦争の記憶と向き合い続ける。

 13年、秋篠宮ご夫妻は、7歳の悠仁さまを連れて沖縄本島南部の糸満市摩文仁にある「平和の礎」を訪れた。悠仁さまは紺のスーツとネクタイ姿。ご夫妻は、24万人の名前が刻まれた石碑を見ながら、犠牲者について説明している。

 秋篠宮家は、夏には学童疎開船・対馬丸の犠牲者を慰霊するつどいや沖縄戦を考えるつどいに何度も参加している。
 

「なぜ戦争に」と悠仁さま

 17年には、紀子さまと悠仁さまは小笠原諸島で戦争の塹壕や軍道などを巡り、翌18年には広島県で被爆者の体験を聞いている。

 戦史研究家の故・半藤一利さんをたびたび宮邸に招き、話に耳をかたむけた。当時、小学生であった長男・悠仁さまも第2次世界大戦などに過去の戦争への学びを深めていた。

「どうして日本に原爆が落ちたのか」「どうして戦争になったのか」

 悠仁さまが質問を重ねるたびに、半藤さんはその経緯を易しく説明した。

 冒頭の千鳥ケ淵戦没者墓苑での拝礼式に参加した「平和を願い戦争に反対する戦没者遺族の会」の副会長、平川明雄さん(71)の叔父は、中国で病戦死した。まだ20歳だった。

「第二次世界大戦という凄惨な戦争を経験しても、いまのロシアのウクライナ侵攻のように、人びとは戦いという愚を繰り返す。こうした世の中だからこそ、慰霊の場に遺族がどんな悲しみを抱えて集まっているのかを、若い世代にも知って欲しい」

(AERA dot.編集部・永井貴子) 

2013年に沖縄県の「平和の礎」を訪れた秋篠宮ご夫妻と長男・悠仁さま
2013年に沖縄県の「平和の礎」を訪れた秋篠宮ご夫妻と長男・悠仁さま
2018年、紀子さまと悠仁さまは広島市の平和記念公園を初めて訪れ、原爆死没者慰霊碑に拝礼した
2018年、紀子さまと悠仁さまは広島市の平和記念公園を初めて訪れ、原爆死没者慰霊碑に拝礼した