ただしハーンの「雪女」草稿を確認すると、決定稿に至るまで大きく改作を続けた跡が見受けられる。ましてやミノキチとモサクという名前が完成直前まで出てこないところを見ると、どうしても宗八の話をそのまま英語に写した作品だとは考えにくい。
つまり「雪女」は青梅の昔話というより、ハーンによる創作の度合いが強い。さらにハーンの死後、彼の手を離れた「雪女」の怪談は、あたかも昔から根づいていた日本の民話のごとき扱いを受けていったのである。
もちろん一般的な意味での雪女にまつわる話は、それこそ日本の雪深い地域では昔から語り継がれてきた。雪山に現れた女を風呂に入れたら、雪のように溶けていなくなってしまったという類の昔話である。
質の高さゆえ各地の民話に
しかし悲哀を滲ませる格調高い怪談としてのハーン版「雪女」は、クオリティの高さゆえに各地の民話になり替わってしまった。遠田勝の調査によれば、1930年刊行の青木純二『山の伝説 日本アルプス篇』がその皮切りだ。同書ではハーン版「雪女」を白馬岳に伝わる話として紹介したため、その後これを長野や富山の口碑伝説とする誤解が広まっていった。いやそれどころか「白馬岳の雪女伝説は、本当の口碑として流布し始め、ついには、これをハーンの原拠とする勘違いにまで至る」といった逆転現象まで生じてしまうのだ。
この誤解は1950年代や1970年代にも再燃し、ついには民話の里・遠野ですら「雪女」が当地の昔話として見なされるようになった。つまり我々は何重もの誤解を経た上で、「雪女」をどこかの雪国で実際に語り継がれてきた怪談として味わっている。それは確かに誤りだが、この真相はハーン版「雪女」の価値を下げはしない。あの怪談はむしろ民衆の昔話ではなく、ハーンの個人的な物語という点に意味があるのだから。