オユキが裁縫から目を上げず返事したので、ミノキチはあの夜のことを全て語った。
「お前と同じくらい美しい女を見たのは、あの時だけだ。ひどく怖ろしかった。怖ろしかったが、美しかった……あれは夢なのかどうか、今では分からないが……」
「……その女こそ、わたし、わたし、わたしです!」
オユキはすっくと立ちあがり、ミノキチの顔を見下ろした。
「一言でも漏らしたらあなたを殺すと言ったでしょう。もしここに眠っている子たちがいなかったら確かにそうしていたのに……。くれぐれも、子どもをよろしくお願いします」
そう叫ぶ声は風になり、その姿はきらめく霧となって昇り、煙穴から消えた。それきり彼女は、二度と戻ってこなかった。
🔳(解説)
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の、あまりにも有名な「雪女」の話である。 よく誤解されがちだが、これは極寒の北の地、どこか雪深い村に伝わっている昔話ではない。そう、日本で最もよく知られている「雪女」の怪談とは、あらゆる意味で、「雪国に昔から伝わる怪談」ではないのだ。
ハーンの『怪談』(1904)の序文には「〝雪女〟は武蔵国、西多摩郡調布村の農夫が語ってくれたもので、彼の故郷に伝わる伝説だという」と記されている。つまり現在の東京都青梅市のあたりだ。近年ではここからさらに推測を広げるかたちで、「雪女」の現場は青梅駅にほど近い多摩川に架かる調布橋付近と見られている。地元有志は調布橋のたもとに「雪おんな縁の地」の碑を建てており、ほぼ公認状態となっているようだ。
「雪女」の怪談は信越か東北地方の話かと思われがちだが東京が舞台だった。これだけでも意外に思う人はいるだろうが、探索はここで終わらない。
遠田勝は『雪女百年の伝承』(2023)にて、ハーンの「雪女」怪談がいつのまにか「日本の民話・昔話」になっていった経緯を解説している。ハーンが東京の大久保村(現在の新宿区百人町)に住んでいた時代、府中調布の農家のものが家に出入りしていたのは事実である。宗八とお花という父娘がそれだ。ハーンが記しているとおり、一般的にはこの父・宗八から聞き及んだ民話が「雪女」だとされている。