資本主義は「システム」ではなく、もはやカオス?!

 本書は、「企業の目的は善行であり、倫理と資本主義は融合させられる」という魅力的な結論に向かって論を進めていく。これに際して、著者はまず資本主義の定義から揺さぶりをかける。資本主義とはなにか? 標準的な答えは、「『利潤』を目的として企業活動が行われる経済システム」だ。しかし、資本主義は「システムではない」と著者は言う。では、なんだというのか。「条件群」だ。条件群? なんの? 「価値を交換するための、剰余価値生産のためにユルく結びついた条件の集合が資本主義だ」という。わかりにくいが、資本主義は複雑で強固なメカニズムではなく、ある種のカオス状態だと言っているようだ。そして、資本主義を剰余価値生産の無秩序なプロセスとして捉えることによって、中央機関からの強烈なコントロールから逃れた消極的自由が獲得される。ここは明確に、もういちど共産主義に希望を見いだそうとするのはまちがいだと言っている。

 そして次に自由が語られる。自由とは平等や連体と結びついたものだという積極的自由論が展開される。人間の自由とは「~の自由」という消極的な自由だけでは足りず、「ともに自由であること」を目指す積極的自由でもあるべきだ。簡単に言うと、あなたが自由でなければ私も真に自由にはなれない、というような自由だ。人間が本当に自由に活動するということは、社会的な自由を生きることだと述べる。このあたりは哲学者ならではの論の展開である。

 そして、これまで資本主義に向けられていた批判の多くを、「そもそもそれは資本主義に責めを負わすべきものではない」と退ける。たとえば、「資本主義を強烈にドライブしたら、新自由主義が生まれ、これが環境を破壊し、格差を産み、金権政治を生んだ。だから、資本主義はもう駄目だ」という内容が語られがちだが、マルクス・ガブリエルは、「新自由主義は資本主義らしくない資本主義だ」と述べ、この論が的外れであると主張する。つまり、「新自由主義なんてものは資本主義の王道からはずれたもので、新種の封建体制であり、倫理資本主義こそが資本主義の真の姿だ」と喝破するのである。

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