南果歩さん(60)はこれまで映画、ドラマ、舞台など200本を超える作品に出演し、俳優として着実にキャリアを築いてきた。一方、私生活では2度の結婚と離婚を経験、自身が在日韓国人3世だったこともあり、「自分は何者か」を模索してきた人生だと語る。そんな南さんに、5人姉妹の末っ子として育った幼少期の思い出や、20歳で映画デビューしたときの秘話などを聞いた。
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南さんが映画「伽椰子のために」でデビューしたのは20歳のとき。それ以降、映画70本、テレビドラマ100本、舞台40本以上に出演し、ラジオドラマや朗読などを合わせると、出演作品は200本を超える。1989年には、映画「夢見通りの人々」で「第32回 ブルーリボン賞 助演女優賞」を受賞し、映画界から高い評価を得た。
プライベートでは95年に作家・アーティストの辻仁成氏と結婚し男児をもうけたが、5年後に離婚。その後、2005年に俳優の渡辺謙氏と再婚するも、18年に2度目の離婚を経験した。その間、16年にはステージ1の乳がんが見つかるなど、まさに波瀾(はらん)万丈の人生を送ってきた。
南さんは1964年1月20日、兵庫県尼崎市で、5人姉妹の末っ子として生まれた。尼崎市の住宅街の一軒家で、両親と5人姉妹の7人暮らしだった。
「チェーホフの最高傑作には『三人姉妹』があり、また、ルイザ・メイ・オルコットの自伝的小説『若草物語』では4人姉妹が描かれていますが、5人姉妹の物語ってさすがに聞かないですよね(笑)。それくらい珍しい家族構成だったと思いますし、家の中で一番年下だったので、とにかくかわいがられて育てられました。自宅は平屋で、玄関をガラガラって開けると、長い廊下と部屋が4つとダイニングがありました。とにかく、うちの中はにぎやかでしたね。何をして遊ぶにも5人も姉妹がいたので、家の中では百人一首やトランプをしたり、姉たちがピアノを習っていたので、姉のピアノの伴奏で、みんなでよく歌ったりもしていましたね」