ロサンゼルス国際空港の南東に位置するホウソーンで生まれたブライアン・ウィルソンが二人の弟、従兄弟のマイク・ラヴ、友人のアル・ジャーディンと結成したビーチ・ボーイズが、最初のシングル《サーフィン》を発表したのは、1961年暮れのこと。フォー・シーズンズ直系のコーラス・ワークと、ロックンロールの諸要素を融合させ、サーフィンやホットロッド、イノセントな恋心などをテーマにしたポップな歌の数々で新しい時代の扉を開き、一躍注目の存在となった彼らは、翌62年から63年にかけて7曲ものトップ40ヒットを放っている。
1964年には《アイ・ゲット・アラウンド》で初の全米ナンバー・ワンを獲得。いわゆるカリフォルニア・サウンドのブームを巻き起こし、音楽好きの多くの若者たちがロサンゼルスに注目するようになるわけだが、このあと、グループの中心人物でメイン・ソングライターだったブライアンは、基本的なスタンスとしてツアーには同行せず、曲づくりやスタジオ・ワークに専念するようになった。マイクや本物のサーファーでもあったデニス・ウィルソンを中心に初期のヒット曲のイメージを守っていくビーチ・ボーイズと、レコードやラジオから聞こえてくる音の核をつくるビーチ・ボーイズ(一人だけだが)。二つのユニットが同時に存在することになったわけである。
この態勢が固まったあと、「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれたフィル・スペクターの革新的な音づくりを意識して新作の制作に着手したブライアンは、その途中で、すでにアイドル的なイメージを抜き捨てようとしていたビートルズの『ラバー・ソウル』からも強い刺激を受け、長く、緻密なレコーディング作業の成果として、66年の春、アルバムを完成させている。
レコーディングには、スペクター・サウンドの重要な担い手でもあったキャロル・ケイ、ハル・ブレインなど50人以上のミュージシャンが参加。もちろんマイクたちもきちんと歌ってはいるものの、極端な表現をすると、「旅から戻ってくると、まったく予想もしていなかった作品が完成していた」という状況だったようだ。そして、経緯や意味については諸説あるようだが、『ペット・サウンズ』というタイトルが決まって、サンディエゴ動物園でジャケット用の写真撮影が行われ、同年5月に発売されたのだった。
米ローリングストーン誌は2003年に編んだ《名盤500選》で『ペット・サウンズ』を2位にランクしている。「fun-in-the-sun的ヒット曲との決別」といった表現もなされているのだが、その高い完成度と芸術性は、ビートルズ、とりわけポール・マッカートニーを刺激し、ここから得たインスピレーションは『リヴォルヴァー』の制作終盤に反映されたという。そして、やはりツアーをやめてスタジオ・ワークに専念するようになった彼らは、さらに前進し、あの『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を完成させたのだった。ちなみに前述の《名盤500選》では、その『サージェント~』が1位、『リヴォルヴァー』が3位となっている。 [次回2/10(水)更新予定]