「人間化の薬」を開発したワケ
「鬼化の効用/鬼化の被害」を複合的に判断すると、「青い彼岸花」という謎に満ちた物質は、薬でもあり毒でもある、という仮説がおそらく最も答えに近いものだろう。ただ皮肉なことに、重い病から無惨と珠世たちを“救った”鬼化現象は、今度は別の恐ろしい病のように、無惨の血液を媒介して“感染”する。まるで薬から誕生した「病」かのごとく。
かつて珠世が、炭治郎から「鬼を人間に戻す方法」について尋ねられた時、「どんな傷にも病にも 必ず薬や治療法があるのです」と答えていることから、彼女は「鬼化=病に類するもの」として見ていることがわかる。それゆえ、彼女は自分と同じく「鬼化」に苦しむ人たちを、医師として救ってやらねばならないと考えたのだろう。
愛と憎しみの先にある「薬」
ただ、珠世は医師として、もうひとつの顔をのぞかせる。鬼化現象による重い病の治癒力を、医療に活用しようとしたのだ。彼女は、病に苦しむ愈史郎という青年の「鬼化」に成功し、死から救う。周到なことに、「人喰い」という鬼としての罪を犯させないように処置もした。しかし、これらの珠世の行為は、「人としての禁忌」に足を踏み入れたようにも見える。
愈史郎は「鬼化」を受け入れ、珠世に深く感謝し、彼女を愛するようになるのだが、人を喰った珠世と、人を傷つけたことがない愈史郎の「鬼としての生」は、かぎりなく近くにありながら、交わるようで交わらない。
珠世は愈史郎を大切に思っている。ならば彼にも「人間に戻るための道」を残してやらねばならない。すなわち、医師としての矜持、人としての愛情。これが、珠世が「人間化の薬」の開発に尽力した動機のひとつであることは間違いない。