入社して大阪支店(のちの支社)で、まず清涼飲料の販売促進策を担当した。その実績を認められ、5年目に東大阪支店で枚方市を中心に家庭用酒販店、つまり「街の酒屋さん」を受け持った。その数は約200店。「街の酒屋さん」に2年間、家族のように可愛がられた。

 仕事が一段落した後、夕食をご馳走になったことも、数えられないほどある。風呂にも入れてくれ、疲れて浴槽で眠ってしまい、溺れはしなかったがしばらく「うちの風呂で寝たのは、あなただけだ」と笑われ、「YOU & I=WE」の世界もできていく。ここで鍛え、さらに関西一の激戦区で磨いた人間関係の強さが、堀口英樹さんのビジネスパーソンとしての『源流』となる。

 1962年1月、埼玉県川口市で生まれ、両親と弟の4人家族。川口で小学校へ入ったが、2年生で神奈川県藤沢市へ引っ越して転校。県立湘南高校で、ハンドボール部の創立メンバーになる。チーム競技は連携が第一。プレーは「YOU」を頭に置き、チームワークの「WE」で結果を出す。ハンドボールは慶応大学商学部でも、同好会で続けた。

 就職は海外で仕事をしてみたいと、商社を考えた。でも、他業種の事情も知りたくて訪ね、そのなかにキリンビールがあった。国内のビール市場で約6割ものシェアを持ち、「次は国際化だ」という話を聞き、「ビールを海外で売るのもありかな」と入社を決める。

 85年4月、大阪支店で清涼飲料の販促から始めた。そこから約10年、人間関係で「YOUを第一に」との『源流』が流れ出すなか、毎年の希望部署の申告では「海外」と書き続ける。

 結婚するまでの約5年半、兵庫県西宮市の男性用独身寮にいた。寮は南北2棟に20人ずつ住み、4畳半の畳部屋でトイレは共同。冷暖房はなく、夏は暑くて冬は寒い。2棟の間に風呂と食堂があり、会社から帰ると食堂で誰かが飲んでいて、一杯付き合った。体を動かしたくて、出社前や休日に近くの武庫川沿いへいき、堤防沿いに7キロほどランニングをする。

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