「1人枠」で米国留学勉強漬けの日々も世界の多様性を知る
95年4月に東京の本社のビール事業本部へ異動し、3年後に「海外で仕事」の夢へ近づく。全社で毎年1人、米ボストンにあるマサチューセッツ工科大学へ1年間留学し、経営学修士号(MBA)を取る枠に選ばれた。98年4月、妻と小さい子ども2人を連れて渡米する。
6月から、勉強漬けだった。自宅で研究事例を1日に三つ、読まなければいけない。リポートの宿題もたくさん出て、食事と入浴と寝る以外は勉強。英語力は鍛えられたが、それよりも授業が一緒の世界からの人の、多様な発想や心理的な傾向の違いを学んだことが大きい。最初は「YOU」の側に立つことは難しかったが、徐々に壁は低くなり、よさを認め合う「WE」の世界になっていく。大阪時代の営業での経験が、重なった。
帰国後、また夢に近づいた。営業本部で営業部長代理として輸入ビールを担当する。さらに8年後の2008年1月、とうとう夢が実現する。出資先の豪メルボルンの乳製品会社の乳飲料部門へいき、マーケティング企画部長に就く。双方の技術力や素材力の相乗効果で、ヨーグルトベースの新商品を目指す。
メルボルンで、マラソンを始めた。大阪時代の独身寮でランニングはしたが、現地社員に誘われ、メルボルンマラソンのハーフ競技へ出た。マラソンは「孤独の長距離ランナー」のイメージが強く、スピードを維持して走り抜く強い意志が必要という「I」が主役。でも、1人で続けたランニングと違い、大勢のランナーと一緒だ。これも「YOU & I=WE」の世界でもあった。コロナ禍の前までに、フルマラソンへ10回以上出て、ベストタイムは3時間46分16秒。まだまだ、縮めるつもりだ。
米国のバーボンから乳飲料、清涼飲料といまは4社目の社長
次に、キリンが傘下にした米ケンタッキー州のバーボン企業のフォアローゼズ・ディスティラリーで、09年3月から4年間、社長を務めた。社員が100人ほどだから、人事から営業まですべての業務、すべての契約書をみて、会社というものの仕組みや各部門の機能が学べた。これで海外経験は3度。夢は叶ったし、満足度も高い。