人口減の日本に比べ、アジアやアフリカには人がいっぱいいる。持続的成長には海外が重要で、いま国際化は自身で手がけている。海外出張も増えた(写真:狩野喜彦)
この記事の写真をすべて見る

 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年7月22日号より。

【写真】堀口英樹社長の幼少期の写真はこちら

*  *  *

 1991年4月、入社7年目に西日本最大拠点の大阪支社で営業第2部に所属。高級クラブからバー、スナック、居酒屋まで、酒類の流通を扱う業務用酒販店の担当になる。酒販店に自社のビールを扱ってくれる店を増やしてもらうのが任務で、受け持ったのは、大阪きっての飲食街「キタ」を中心とする関西一の激戦区の酒販店6社だ。

 酒販店には多くの店を分担する営業部隊がいて、それぞれが一国一城の主。最大の酒販店には「城主」が44人もいた。「城主」たちに販売先をみつけてもらわなければ、売り上げは伸びない。でも、キリンを推してくれる人もいれば、競争他社に力を入れる人もいる。ともかく毎日いって、意思の疎通を図る。勝負は、人間関係に尽きた。

 いまの時代、「自分を大事にする」と言って、相手の話をきちんと聞かない人が増えた。でも、商品やサービスを選ぶのは客で、「自分=I」が主語では成果はおぼつかない。「相手=YOU」が自分の仕事の成果を評価するのであり、このときの「YOU」は酒販店だ。取引を開拓してくれた店へ一緒にいったし、休みの日にゴルフのお供もした。要は、いい関係を築いて、可愛がられることだ。

 父は東京のラジオ局の技術部に勤め、社交的というほうではなかった。一方、専業主婦だった母は人付き合いが豊富で、その血を受け継いだのだろう。人間関係は、子どものころから苦手ではない。

写真:本人提供

激戦区の攻防で毎晩「午前さま」やりがいでこなす

 キリンのビールを扱ってくれる店には、自分1人でも回り、他社に奪われないように関係を固めた。激戦区の攻防で毎晩、帰宅は「午前さま」。まさに体力勝負だ。でも、最も腕利きの営業マンを集めたチームにいただけに、やりがいでこなす。

次のページ