青年姿の無惨。『鬼滅の刃』公式HP「上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」のイントロダクションより。(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

鬼殺隊に「あって」、無惨には「ないもの」

 耀哉の狂気の自爆に対して、無惨が「(耀哉の)妻と子供は承知の上だったのか?」と思う場面があるのだが、それを受けて、一部からは「無惨の方が人間らしい感情があり、耀哉の方が“異常者”だ」という声が上がった。しかし、本当にそうだろうか。

 人が誰かのためにみずから命を捨てるには、深い深い愛情が必要だ。愛する人が殺害された時、時間がどれだけ経過しても、その怒りを持ち続けるためには、亡くした人への「愛」がいる。耀哉は鬼の被害を終わらせるという信念を貫きとおし、彼の家族は愛のために耀哉の作戦決行に力を貸した。万人には理解されないかもしれないが、そこに「人間らしい愛」があったことに疑いはないだろう。

 かつて人間だった鬼舞辻無惨は、「人間は、愛する人をなかなか傷つけることができない」ということを“知って”はいた。しかし、その先にある感情を、無惨は知らないのだ。他人の命を踏みつける側にいる鬼の無惨は、愛する者を永遠に失ってしまった者の悲しみと怒りが分からない。

 この「人間らしさ」については、耀哉の自爆によって、戦闘態勢に入った炭治郎と柱たちの表情を見てみると、よく理解できる。彼らの顔に浮かぶのは残忍さではなく、途方もない悲しみだった。取り戻すことができない失われた命への悔しさを、わが身の不幸として感じている。

 ここから先、鬼舞辻無惨は、鬼殺隊の執念と怒り、耀哉が残した狂気を一身に受けることになる。鬼が強いか、鬼殺隊の「想い」がより強いのか。映画3部作で「無限城編」がどのように描かれるのか、今から待ち遠しい。

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植朗子

植朗子

伝承文学研究者。神戸大学国際文化学研究推進インスティテュート学術研究員。1977年和歌山県生まれ。神戸大学大学院国際文化学研究科博士課程修了。博士(学術)。著書に『鬼滅夜話』(扶桑社)、『キャラクターたちの運命論』(平凡社新書)、共著に『はじまりが見える世界の神話』(創元社)など。

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