優しいはずの人たちの「怒り」
「永遠というのは、人の想いだ。」
耀哉は無惨にそう語りかけた。では、その「想い」とは何を指すのか。
「大切な人の命を理不尽に奪った者を 許さないという想いは永遠だ」(産屋敷耀哉/16巻・137話)
耀哉がここで告げたのは「許さない」という感情、つまり「怒り」であった。耀哉にとって、「永遠」という清らかなものを支えるのは、ネガティブな「怒り」だと考えていたことに驚かされる。
しかし、「怒り」は鬼滅の精神世界をあらわす、重要なキーワードだ。『鬼滅の刃』の第1話目で、水柱の冨岡義勇が「怒れ 許せないという 強く純粋な怒りは 手足を動かすための揺るぎない原動力になる」とつぶやいた場面があったが、このシーンと重ねてみると、鬼滅の物語において、「怒り」が意味するところがみえてくる。
ただ、人の心を失った鬼と、復讐に燃える人間の狂気に、どれほどの“違い”があるというのかという疑問は残る。その“違い”を考察するには、耀哉のセリフや描写を注意深くひもとく必要がある。
柱たち、隊士たち、炭治郎たちの「怒り」
耀哉は、自分の死が「鬼殺隊の士気」を高めるのだと言った。実際に、耀哉の死が凄惨であればあるほど、柱たちの悲憤は強く、深くなった。
「君はね 無惨 何度も何度も虎の尾を踏み 龍の逆鱗に触れている 本来ならば一生眠っていたはずの 虎や龍を 君は起こした」(産屋敷耀哉/16巻・137話)
無惨の因縁の敵・竈門炭治郎は、親弟妹を鬼に殺され、妹も鬼化させられた。平凡で優しい炭焼きの少年は、執念の刃を振るうようになる。強いながらも明朗な人柄の煉獄杏寿郎も甘露寺蜜璃も、他者を助けるために戦う。元柱の宇髄天元も、入隊までの経緯は異なるものの、同様であった。
伊黒小芭内は鬼によって、親族たちの大いなる争いを引き起こされ、悲鳴嶼行冥は大切に育てていた血のつながらない「小さな家族」を失っている。時透無一郎、胡蝶しのぶ、冨岡義勇は、かけがえのないきょうだいを亡くした過去がある。不死川実弥には、唯一生き残った実弟がいるが、どうしても彼だけは死なせるわけにはいかない。
このように、彼らの「尽きることのない鬼への怒り」「鬼を滅殺したいという信念」は、他者への愛情が深いがゆえに生まれていることがわかる。自分の命を捨てても、倒さねばならない敵がいるのだ。死んでしまった大切な人たちへの想いは、時がすぎてもなお、薄れることはない。