大野さんをはねて逃走中に横転した乗用車=6月20日

加藤紘一氏のカバン持ちも

 大野さんは、山形県の有名な企業経営者の家庭に生まれ育ったという。大学卒業直後から一時期、山形の大物政治家である故・加藤紘一自民党元幹事長の秘書を務めたといい、政官財にも精通していた。

 大野さんのかつての秘書仲間が振り返る。

「山形では誰もが知る食品会社の一族で、そのツテなのか大学時代から加藤先生の事務所に出入りして、秘書になった。加藤氏が出世して閣僚になった後も、地元に帰るとカバン持ちをしていて、まじめにやっているのだと思った。だが、どこでどうおかしくなったのか、事件屋、ブローカーのような存在になってしまい、加藤先生も一族も迷惑したそうです」

 私は大野さんから加藤氏の情報や昔話を何度も聞いたことがある。確かに加藤氏については詳しく、家の間取りまで書いて説明してくれ、加藤氏の3女・鮎子氏(現・女性活躍担当大臣)の幼いころの話も聞かせてくれた。

 1999年9月にはこんな事件もあった。当時の朝日新聞記事を引用する。

〈14日午前零時半ごろ、東京都千代田区神田神保町一丁目の路上で「男二人に暴行を受けた」と自称コンサルタント業大野泰弘さん(43)から119番通報があった。大野さんは、ろっ骨が折れるなどのけがをした。大野さんは、13日に発売された大手都市銀行を批判する告発本の著者に情報を提供した一人で、「襲った男たちは『分かっているんだろうな。本の件だ』などと話した」という〉

 バブル時代、「加藤紘一元秘書」という肩書を利用し、不動産取引で多忙だったという大野さん。バブル崩壊後は旧住友銀行と数々のトラブルが発生した。銀行の「暴露本」が出版されたとき、大野さんは著者にスキャンダル情報を提供したことで恨みを買った、という経緯のようだった。

 事件後、大野さんはこう話していた。

「やくざ風の男たちに襲われ、拉致されたのは銀座だった。車に押し込まれ、殴る蹴ると本当に痛かった。殴られながら、住友銀行のことしかないと思った。解放されたのが神田で、そこから119番した。あんな痛い思いはこれまでしたことがなかった」

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