芋焼酎と薩摩の味があれば(写真:本人提供)

 2年目は審議官、3年目は政策統括官。毎月、経済状況を分析して閣議へ出す月例経済報告や景気判断を仕上げる責務も、加わっていく。面談する政治家たちの格も上がっていくが、物怖じしない。2年間の予定が1年延びたが、「公務員をやってよかった」と頷き、政策研究大学院大学教授へ復帰する。

女性が宇宙へいった「自分も」と思ったが進路が分からず断念

 1954年2月に生まれ、会社員の父、母と3歳上の兄の4人家族。幼稚園に入るころから鹿児島市の城山の麓で暮らす。これまでの70年間で何かになりたいと思ったことは、あまりない。一つあったのは、小学校4年生のときだ。ソ連(現・ロシア)のテレシコワ宇宙飛行士が女性で初めて宇宙へいったと知り、「自分も宇宙飛行士になろう」と思う。ただ、どうすれば実現できるか分からず、中学生のときに航空大学校へ進もうと考えたが、女性にはまだ門が開いていなくて断念する。

 もう一つの「なりたい」が県立鶴丸高校生だ。ここで、味わい深い先生との出会いが続く。まず、1年生のときの栗川久雄校長。「For Others」の言葉を掲げ、生徒たちに「常に、他人のために尽くせ」「いつでも他人から頼りにされ、助けることができるように自分を磨いておけ」と説いた。

 いつ思い起こしても、心に響く。当時の鶴丸高校の生徒は、誰もが「For Others」が耳に残った、と思う。40代になって国の方向を決める経済政策に関わったとき、「どちらがいいか」を個人の立場から考えたことはない。「それは社会にとって必要な政策か」というパブリックな思考は、校長の言葉がくれたのだろう。

 化学の先生の言葉も、忘れられない。戦時下に嫌な経験をした心の傷があったようで、うつむき加減に、ぼそぼそと話す人だった。教員生活最後の授業を受けたとき、終わりに小さな声で言った。「教養とは、はにかむことである」。生徒たちへのはなむけの言葉だったのか、教員生活の総括だったのか。まだ10代でこんなに素晴らしい言葉に出会った自分は、本当に幸せだ。深みのある恩師たちに恵まれて、『源流』からの流れは、真っ直ぐに進んでいく。

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