関西在住のラクロス仲間たちと年に数回集まる。創設当時の同期や後輩たちで30年以上の付き合いとなる。メンバーは、大学も年次もバラバラだ。昔話から最近の話まで、笑い声が絶えなかった(写真:楠本涼)

 女性の総合職採用が始まったばかりの大阪の読売テレビに入社。最初は人事部に配属されるも現場を希望。2年目に大阪府警記者クラブへ。強盗、殺人、放火などを担う捜査一課担当は社内で女性初だった。夜討ち朝駆けの日々が始まる。官舎に夜回りに行くと、入り口の電灯の下で複数の男性記者がタバコを吸っていた。近づける雰囲気はなく、自転車置き場で一人待っていたら、年配の男性記者に声をかけられた。「お嬢ちゃん、何しに来たんや。お父さんお母さん待っとうで。はよ帰り」。なんとか「取材に来たんです」と返した。

「女性というだけでとにかく目立つわけです。これは、よほどの結果を出さないと認めてもらえないと思いました。だったら人一倍努力しよう、と」

 とことん周辺を取材した。他の記者が行かなくなっても現場に顔を出した。捜査関係者が通うパチンコ店で話を聞こうと隣に座って声をかけたこともある。捜査関係者が出入りする食堂があると聞くと、入店して耳を澄ませた。できることは、あらゆることをやろうと思った。

 捜査一課担当後、社内で女性初の司法記者クラブ所属の検察担当になった。夜回り朝回りの寝る間もない忙しさ。日中少しだけ時間が空き、裁判所のトイレで座って眠ったこともあった。ほとんどの時間を取材に使い、昼食も惜しんで関係者に会った。泊まり勤務の夜は新聞のスクラップ作りに使った。あるとき司法関係者に声をかけられた。

「あなた、よく頑張ってるね。実は弁護士で変わった経歴の女性がいる。紹介しようか」

 それが、大平光代だった。会って話を聞いた。壮絶ないじめを苦に自殺をはかり、非行に走って16歳で暴力団組長の妻となった。しかし人生を立て直し、猛勉強の末に弁護士になったという。そのときは話を聞いただけで別れたが、この人の生きざまは多くの人に勇気を与えられると思った。小西はドキュメンタリーを撮りたい、と手紙を書く。最初は断られたものの、あきらめずに連絡を取り続けた。するとある日、自分のことを書いてくれないか、と大平から話がきた。鑑別所に行って「昔、君と同じように悪さをしていたんだ」と自分の過去を話しても信じてもらえない。だから見せられるものが欲しい、と。だが、小西は書くプロではない。ドキュメンタリーなら最高のスタッフを集められる。映像を先に作り、そのあと書籍を作るのはどうかと伝えたら提案を受け入れてもらえた。極秘の密着撮影が始まる。1年間の取材を凝縮した25分間の映像は大きな反響を呼んだ。

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