講義が始まる前、ギリギリまで使用するスライドを精査していた。情報を使い回すことはほとんどなく、常に最新情報を盛り込むことを意識している(写真:楠本涼)

 ローカル局出身で政治部の経験も浅い記者に、生放送もある討論を任せようというのだから、中山の大胆さは並外れだ。しかし、中山の動物的な勘を小西も大胆に引き受けた。「わからないことはわからないと答えればいい。聞いたことに答えていないと思ったら答えてませんと言えばいい」。中山のアドバイス通りに番組を推し進めたら、あの生意気な女性キャスターはなんだと、抗議の電話やメールが殺到した。厳しい言葉に小西は堪えた。だが、中山の感触は違った。何か心に引っかかったから、視聴者は反応したのだ。翌年、小西は夕方のニュース番組「NEWSリアルタイム」のサブキャスターを任される。

番組終了後に人生が暗転 自分磨きに目覚める

 充実した日々だった。とりわけ、40歳の誕生日は華やかだった。20人ほどの仲間が集まり、レストランで祝ってもらった。だが、その後、番組終了が決まると人生は暗転する。「私は本当に必要とされているのか」と不安に襲われ、たびたび東京の街を彷徨(さまよ)った。関西では馴染(なじ)みの深い大丸によく行った。書店で自己啓発の本を買いあさった。ある日、アクセサリーショップで女性に声をかけられた。大学時代に小西からラクロスを教わったことがあるという。アクセサリーを見立ててもらい、後にメイクの仕方やファッションも教わった。

「行き詰まったら、学びに行く。そうか、こういう学びもありだな、とスイッチが入って」

 美容やファッションなど、自分磨きを始めた。変化の様子を見ていたのが、番組を通して親しくなったスポーツキャスターの陣内貴美子(60)だ。ある日、陣内が誘ったレストランに行くと、小西が客の男性を見て「かっこいいね」と言う。

「それで私が、年を聞いてきてあげようか、と。ずいぶん年下だったので、これはないかな、と思っていたら、ゴルフをきっかけに二人で会うようになっていって」(陣内)

 43歳で結婚。その8カ月後、3年半メインキャスターを務めることになる番組「深層NEWS」が始まる。政治、経済、医療などのテーマについて、政治家や文化人など、その道のキーパーソンを招いてニュースを深掘りしていく。しかも1時間の生放送。高度な進行技術が問われた。終了後のスタッフ会議では、容赦ない注意や指摘が飛んだ。ゲストにもっといい質問ができたはず。なぜあのとき、あんな切り返しをしたのか。いいゲストを招いても司会者がダメならどうしようもない……。集中砲火を浴びる日々。苦しかった。会社に行く途中、涙が止まらなくなることもあった。オンエア前にも、顔が紅潮したり、おなかが痛くなったり。だが、医師を頼り、体のメンテナンスを行うことで気持ちも落ち着くようになった。しゃべりを基礎から学ぼうと「日テレ学院」にも通った。その後、47歳で防衛省担当記者になり、半年後に夕方のニュース番組へ。ここからまた、むくむくと学びへの思いが押し寄せてくる。

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