



6月16日は「父の日」。著名人らが見ていた、それぞれの父の姿は……。あらためて紹介します(この記事は2018年6月15日に「週刊朝日」に掲載された記事の再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。
【市川ぼたんさんが高校生の時、父と兄(海老蔵)と撮った写真はこちら】
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優しかった、面白かった、頼もしかった……、人それぞれ、父親に対する思いを抱えている。どれも自分をつくってくれた大切な思い、でも、面と向かって直接伝えるのは難しい。週刊朝日では、「父の日」を前に、8人の方に今だから話せる亡き父への思いを語ってもらった。その中から、市川ぼたんさんが語った父・市川団十郎さんのエピソードを紹介する。
父が白血病と診断されたのは、2004年5月、兄(市川海老蔵)の襲名披露興行の最中でした。父は発病まで、25日間続く歌舞伎の興行の舞台に立ち、翌月にはすぐ別の舞台、という生活を続けていました。合間も取材などで予定が詰まっていて、ほとんど休みがありませんでしたから、私にとって父は、少し遠い存在でもありました。ですが、診断されてからの9年間は、思いがけず、たくさんの時間を共にできるようになりました。
父はしめっぽいのが嫌いな人で、発病してからも常に前向きでした。よく「ハッハッハ」と豪快に笑うんですよ。健康な私たちのほうが、その姿に励まされていました。家族の中で、太陽のように明るくて、揺るがない存在。とくに娘の私にとって、父の愛情は特別でした。素直に甘えられる唯一の人であり、迷うときは真っ先に相談したい相手でもありました。
だからこそ、父亡きあとは、押し寄せる悲しみや空虚感にさいなまれました。「去年の春は一緒にお花見を……」「夏は毎年、父の誕生日祝いを……」と、季節が変わるたびに不在を思い知らされる。毎朝目を覚ますたびに涙があふれる日々でした。
「色は空 空は色との 時なき世へ」
これは、父が残した辞世の句です。喪失感に耐えられなかった時期、私はよく父の形見の腕時計を身に着けて出かけました。この時計は自動巻きで、ときどき振らないと止まってしまう仕組みなのですが、静かに止まっていることこそが、父が「時なき世」に旅立ったことを表しているように感じて。一方で、腕につけて出かけると針は動きます。そのあいだだけは父がそばで同じ時を過ごしてくれていると思えたのです。
そうやってもがきながら、なんとか1年をやりすごしてからは、父を生前よりも身近に感じられるようにさえなりました。物理的な距離がなくなったからこそ、常に共にいられる。だから最近は、時計をつけて出かけることもなくなりました。
そんな今でも、「父の日」という言葉を聞くと、父にしてあげたくてもできなかったことが浮かんできてしまう。私にとっては、少し切ない気持ちになってしまう日ですね。
(取材・文/直木詩帆)
※週刊朝日 2018年6月22日号に掲載した記事に加筆