落語家・春風亭一之輔さんが連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今回のお題は「紫陽花」と「立候補」。
我が家の玄関先には紫陽花がひと株植わっていて、いま目見当で数えてみても大小30くらいの「花」を咲かせている。
4月まではむき出しの茎だけだったはず。葉も何もない、紫陽花ともなんとも判断のつかない3、4本のただのカッサカサの棒だったのに。
6月現在、ボウボウに生えまくっている。
ちょっとうざったいくらいに。正直、こんな咲かなくていいというくらいに。「植栽」なんて体裁が整った表現では収まらない。「群生」している。
こいつらは謙虚さが足りない。私の抱く紫陽花のイメージとまるで違うのだ。どうもドヤってる。紫陽花ってひかえめで楚々としたイメージなのだが、うちの紫陽花どもは「水無月はワシらの季節やな!」「ホンマホンマ!」と関西弁をわめき散らしながら、胸に虎の顔面がドーンと描かれたぴちぴちのボディスーツを着て、ママチャリに乗って商店街を横並びでタラタラ走っているかんじ。
見てるとイライラするので時間がある時に間引いてやろうか、と思ってるのだがなかなか暇がとれず紫陽花と向き合いきれていないのが現状だ。
覚えてろよ、紫陽花ども。来週の休みにはバッサバッサいってやるからな。「アラー、怖いわー」「なんでそんなん言うの!?」「ワタシらなーんも悪いことしてないのにー」
今のうちに減らず口を叩いておけ。
そうそう。今回は「紫陽花」と「立候補」とお題が二つ出たのだ。「まぁ、どっちでも書きやすいほうで」という編集部からの依頼だった。
来月には都知事選があるからか。今回は「立候補」者がメチャクチャ多くなる、予想らしい。選挙管理委員会は最多で48人分のポスターを貼れる掲示板を用意しているそうな。
立候補を表明してる人の名前をボンヤリ眺める。
選択肢が少ないよりは幅広いほうがいいのは当然ながらも、名前を聞いても誰が誰だか分からない人がほとんどだ。誰なんだ、お前は。いや、お前らは。名前を知らないのはまだいいが、公約を見てると本気で東京都をよくしようと思ってるのか疑わしくなってくる人ばかり。どーせ当選するつもりもないし、お祭り気分で売名目的で立候補するんだろ。もうそういうのはやめてくれ。選挙を自己表現と承認欲求を満たす場にしないで欲しい。バカタレが!
……なんてなことを考えて、鼻息を荒くしてみたのだが。ちょっとまてよ。
……でもなんですよね。告示から投票日までの期間中はちゃんとそれぞれの候補者について出来る限り知ろうとしたほうがよいですわな。泡沫と切り捨てずに一応は目を通して、その上で理解不能ならそのまま関わらず放っておけばよいのです。
投票する側にも誠意は必要。面白半分や悪ふざけをする立候補者がいたとしても、それに乗っかったら全部こっちに返ってくるわけですから。
喧騒に巻き込まれたまま、めんどくさくなって選挙に行かなかったり、変な意思表示で白票を投じたり、いい加減に記名したりするのはやめて、都知事選をじっくりと味わって、吟味して投票したいものです。
ということで、我が家のはちゃめちゃ紫陽花もガッツンガッツン切ってやろうかと思ったけど、「ここは残しとこ」「ここは要らないか」「ここは切って花瓶に活けとこか」と、よく見定めてから整えるとしよう。
下手に切りまくって来年咲かなかったり、枯れてしまったりしたら……そんな哀しいことはない。
そろそろポスターの掲示板の真四角集合体が、紫陽花の「花びら」の集まりに見えてくるかもしれないね。
(注)私たちが鑑賞している”花びら”は装飾花といい、ガクにあたるそうです。本当の花はそのガクに守られるように中心部にあります。