『爆弾』呉 勝浩 講談社
『爆弾』呉 勝浩 講談社
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 BOOKSTANDがお届けする「本屋大賞2023」ノミネート全10作の紹介。今回取り上げるのは、呉 勝浩(ご・かつひろ)著『爆弾』です。

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 皆さんは「無敵の人」という言葉をご存じでしょうか。社会的に失うものが何もなく、犯罪をおこなうことも躊躇しない人のことを指すインターネットスラングです。近年、こうした人たちによる凶悪犯罪が増えています。『爆弾』に登場するのも、まさに「無敵の人」ともいえる人物です。

 些細な傷害事件で東京・中野にある野方警察署に連行されたのは、ぱっとしない風貌の「スズキタゴサク」と名乗る中年男。取り調べ中、スズキは自分には霊感があると言い、「十時に秋葉原で爆発がある」と予言します。その直後に、秋葉原で爆発との一報が。笑みを浮かべたまま、スズキは「ここから三度、次は一時間後に爆発します」と告げます。第二・第三の爆弾を防ぐには、この予告犯の協力を得るのが一番の近道。警視庁捜査一課から臨場し、取り調べを交代した特殊犯捜査係の清宮と類家に、スズキは「九つの尻尾」という質問ゲームをしないかと持ちかけてきます。果たして警察はスズキの言葉から爆弾の仕掛けを見つけ、東京を守ることができるのか――。

 スズキとのやりとりはすべて取調室のみ。清宮・類家VSスズキの究極の心理戦ともいえる会話が同作の大きな魅力です。始終、人を食ったような態度でのらりくらりと追及をかわし、まったく関係なさそうなことをペラペラと話すスズキ。しかし、その言葉には爆弾の場所や時刻を示すヒントが隠されており、それを見誤ると爆弾は爆発し、ときには多くの死傷者が出てしまう......。密室での会話から、東京じゅうが炎上しパニックに陥るという構図は緊迫感満点です。

 そして読者が知りたくなるのが、このような犯罪を起こすに至ったスズキの心理。作中に、スズキのこんなセリフがあります。

「どこかで何かが爆発して、誰かが死んで、誰かが哀しむんでしょうけど、でもべつにその人は、わたしに十万円を貸してくれるわけじゃない。わたしが死んでも哀しまないし、わたしが死ぬことだって止めようとしませんよ、きっと」(同書より)

 世間に何も求めず、何も求められず、「まあいいや」で人生を過ごしてきた男。それが「まあいいや」から「もういいや」に変わったとき、人は「無敵の人」になるのかもしれません。差別はよくない、人の命に軽いも重いもないと言いながら、未来ある子どもか身寄りのないホームレスを救うなら子どもを選ぶのではないか、安全な場所にいれば凄惨な爆発も観客として楽しんでしまうのではないか――。作中で描かれているのは、私たちが心のどこかで抱えているかもしれない感情。同書は"命の選択"について私たちに問いかけます。

 すでにいくつかのミステリー小説ランキングで1位に選ばれている同書。この小説自体が、私たちの奥底に眠る「悪意」をさらけ出す爆弾的存在と言えるかもしれません。

[文・鷺ノ宮やよい]