振り返れば、うまくいかないときのほうが、成長できたような気がしている。高校野球でも甲子園へいけなかったけど、球友たちと共有した一体感は何事にも勝る(写真:狩野喜彦)

グラウンド遠ざけた「身が汚れた」の思い中立の立場が消した

 ことし4月、母校の米子東高校を、連載の企画で一緒に訪ねた。春夏の甲子園へ何度も出場している野球の強豪校で、野球部専用のグラウンドがある。きたのは、高校を卒業して以来44年ぶり。やはり「懐かしい」との言葉が出た。

 実は、長らく訪れることができなかった。高校野球は「純」で、グラウンドは神聖な場。大学で楽しく遊び、会社へ入ってからは様々なことに触れ、自分の身が「汚れた」との気持ちになって、近づけなかった。

 いま日本の証券会社の団体のトップに立ち、人々の資産形成を応援する。中立的な立場で、「汚れ」の意識は消えて、グラウンドはもう遠くなくなった。

 母校へいった日は雨が強く、野球部員は屋内練習場にいた。でも、しばらくバックネット裏で、グラウンドをみつめた。左翼のフェンスの上にある網が、ずいぶん高い。「あんな網は、あったかな」と言うと、案内をしてくれた教諭が「フェンス越えの打球が、向こうの民家へ入るといけないので。以前は松の木が打球を防いでいましたが、木が虫に食われたので網にしました」と説明する。「そうか、私たちのころと違って、レベルが上がってあそこまで飛ぶから網が高いのか」と頷いた。

 高校野球をやって本当によかった、と思う。どの学生スポーツでも同じ。社会人になる前に何年間か「純」な世界で過ごすのは、計算ずくでずるく振る舞うこともなく、いつも背筋をピンとして生きる軸をもたらす。

 自分は、さらに貴重な体験もした。個性が強くバラバラになりそうな球友たちを、キャプテンとして「一つのチーム」にまとめ、「甲子園へいこう」との目標を共有。夏の県大会で、1番打者で外野の中堅を守り、決勝まで進んだ。サヨナラ負けで甲子園球場へいけなかったものの、練習方法をみんなで話し合い、決めたことは全員が守り、基礎的な練習を重ねた。

「客の損」で固まった営業姿勢が生んだ6ページの戦略文書

 その学びが、広島支店で「プラザ合意」に遭遇して客に大きな損が出たときに、蘇る。投資関連の基礎をきちんと学んだうえで案内しよう──「森田流の営業」の形が、固まった。

 そんな営業姿勢の集大成が、2012年8月に野村証券と持ち株会社の野村ホールディングスの双方で営業部門のトップに立ったとき、全国177の営業拠点へ配ったA4判6ページの文書だ。「株式の短期的な売買で手数料収入を得るブローカレッジ主眼の営業から、客の個々の事情に即した資産形成へ中長期的に助言するコンサルタント営業へ変わろう」との呼びかけを、書き込んだ。『源流』からの流れが、広がった。

暮らしとモノ班 for promotion
大谷翔平選手の好感度の高さに企業もメロメロ!どんな企業と契約している?
次のページ