なでしこジャパンコーチ:宮本ともみさん(みやもと・ともみ)/1978年、神奈川県生まれ。97年から10年間日本代表。引退後、高田短期大学女子サッカー部監督に就任。21年から現職。1男の母(撮影/写真映像部・佐藤創紀)

宮本:そうそう。自分の気持ちの全てが子どもに向いていたところから、徐々に余裕ができ、サッカーのことを考えるようになって。でも、体力や技術が戻るのか、育児との両立は可能かなどの不安は絶えなかったです。

岩清水:私は出産時に恥骨を骨折してしまい、復帰が遅れました。一方で、社会が働く女性を応援する風潮になっていき、国内で初の女子プロリーグが設立されることに。その理念が「女性活躍」だったので、追い風がすごくて。しかも、強風。復帰後、試合会場にリーグ初の託児所も設置してもらい、選手とママとのスイッチを切り替えることができました。

練習後は“お母さん”

宮本:産後はオンとオフの切り替えや、優先順位の付け方が上手くなったと感じています。あと、悩む時間と体力がもったいなくなった(笑)。

岩清水:(笑)。やっぱり集中力は高まりますよね。私も集中するスイッチの入れ方が強くなった気がします。グラウンド上では、子どもの有無や立場、年齢は関係ないから、自分を思う存分に表現する。練習が終わると、「お母さんスイッチ」が入っちゃうから、お迎えがすごく愛おしくなって。自分の体のケアを含めて、やるべきことを時間内にやる意識が強くなったので、無駄な時間を作らなくなりました。

宮本:私の時代はアマチュアリーグだったので、練習は仕事終わりの午後7時から午後9時。子どものお迎え後、急いで夕飯を食べさせて、グラウンドへ向かっていました。練習開始15分前に着いて、練習後は「じゃあ!」って言って帰宅し、寝かしつけをする毎日。夫の両親と同居していたので、子育ての面ではとても助けられていたんですが、寝かしつけは自分でしたかったんです。パフォーマンスはそれほど落ちなかったから、量より質なのだと痛感しました。

産後の現役復帰に課題

岩清水:引退は何歳でしたか?

宮本:34歳。練習の時、ふと「なんでこんなにしんどい走り込みをしているんだろう」と、もう一人の自分が俯瞰している体験をして。子どもは関係なく、100%のパフォーマンスが出せなくなったのがきっかけでした。

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