岩清水:え!? その時一緒にいたはずですが、初めて聞きました。そんな大変だったとは全く知らず。「かっこいいな」としか見えていませんでした。
宮本:実は「申し訳ない」という気持ちとプレッシャーを強く感じていました。トップ・オブ・トップの選手たちの集まりに子どもを連れていっていいのか、シッターさんの滞在費などの費用は協会負担だったので「自分にはその価値があるのか」とか。その心境を当時の日本代表監督だった大橋浩司さんに正直に打ち明けた時、「それは全部分かった上で、選手を選考するのは俺だから」と言ってもらえた時、肩の荷が下りました。
妊娠中も試合出場
今年3月、『ぼくのママはプロサッカー選手:岩清水梓の出産と子育てのはなし』(小学館)を上梓した岩清水さん。妊娠がわかった時、シーズン途中で離脱することを無責任に感じ、公式戦に出続けていたことがつづられている。夫婦で何度も話し合い、悩み、「おなかの子どもに会えないかもしれない」との強い覚悟を持っていたこと、そして、結婚、妊娠と復帰を周りに報告する際は「怒られるのでは」「戸惑わせてしまうのでは」との不安を常に抱えていたことを打ち明けている。
岩清水:妊娠がわかったのは32歳の時でした。当時、チームのキャプテンを降り、後輩たちも育ってきていたので、妊娠を機に引退をしようと考えていました。でも母に報告したら「もったいない。続けたら?」と言われたんです。母は仕事をしながら子育てをしていたことに加えて、宮本さんが子連れで代表合宿に参加する姿をかっこいいと私が話したことを覚えていて。その母の一言で、復帰する考えに180度変わりました。
宮本:そうだったんだ。私は25歳で妊娠して、若かったこともあり、早い段階から復帰したいと思っていましたね。でも、出産後2カ月間は大変すぎる記憶しかなくて。サッカーのことを考える余裕が全然なかった。
試合会場に初の託児所
岩清水:わかります! 今年息子は4歳になりましたが、これまで一番しんどかったのは新生児の時でした。アスリートにとって睡眠は最も大事と言っても過言ではないのに、寝られなくなってしまったのが本当につらくて。トレーニングが思うようにできないことが、何よりも大変でした。生後2カ月が過ぎて、少し余裕が出てきた感じでした。