死亡した護衛マンドザイの妻ナフィサ(右端)が、中村医師のNGOや日本大使館へのメールに添付した写真。残された子ども6人への支援を訴えている(写真:ナフィサさん提供)
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 2019年12月、アフガニスタンで医療活動や人道支援に尽力した中村哲医師が殺害された。あれから4年半。実行犯や襲撃の背景は徐々に明らかになる一方、共に亡くなった5人のアフガニスタン人のことはほとんど語られてこなかった。彼らはどんな人物だったのか。AERA 2024年6月3日号より。

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 2019年12月4日午前8時ごろ、中村哲医師の一行はアフガニスタン東部ナンガルハル州の定宿から灌漑の事業地に車で向かっているところを待ち伏せされ、銃撃された。車は防弾仕様ではなく、中村医師の隣でハンドルを握っていた運転手のザイヌラ(34)と、後部座席や後続車両で銃を構えていた護衛4人は即死。中村医師は、上半身を撃たれて重体に陥り、病院に運ばれた。意識がもうろうとする中、声を絞り出すように「ザイヌラたちは無事か?」と医療スタッフに聞いたのが、最後の言葉になった。

 干ばつに見舞われたアフガニスタンで多くの井戸を掘り、用水路を建設して緑をよみがえらせた中村医師。医師の役割を超えた功績は現地の人にも広く知られ、尊敬を集めてきた。その死の一報は、日本や現地はもちろんのこと世界中に衝撃を与えた。

 だが、中村医師と共に命を落とした5人についての情報は、当時も今もほとんど公になっていない。2016~21年に朝日新聞アフガニスタン担当特派員だった私は、彼らがどんな人物だったのか気になり、事件直後から取材を続けてきた。現場で目の当たりにしたのは、彼らが残した妻子25人の悲痛な想いだ。妻子は事件直後に中村医師のNGOと現地政府(当時)から一時金を受け取ったが、収入を絶たれて生活は困窮。日本政府から救いの手は差し伸べられていないのが現状だ。

 死亡した運転手のザイヌラは、中村医師が最も信頼していた現地スタッフの一人だった。中村医師が笑顔で写っている写真には、ザイヌラが隣にいるものが多い。弟ルドゥフラ(29)によると、ザイヌラは中村医師から「私の横にいて仕事を覚えるように」と言ってもらえたことを何より誇りに感じ、長女ムスカらに「ドクター・ナカムラのような人になるんだよ」と言い聞かせていた。

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