ヒロド歩美(ひろど・あゆみ)/1991年、兵庫県生まれ。2014年、朝日放送(当時)に入社。23年4月からフリーに。学生時代は、「面白いことや、人と違うことをするのが好きでした」(写真:鈴木愛子)
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 大学は助走期間ではなく、様々なトライ&エラーを試みる実践の場。学生時代の取り組みが今に生きている、早稲田大学国際教養学部卒のフリーアナウンサー・ヒロド歩美さんに話を聞いた。AERA 2024年6月3日号より。

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──早稲田大学の国際教養学部に入学したのは2010年。学生時代は、ひたすら楽しむことばかり考えていた。

 早稲田大学の国際教養学部に進学した一番大きな理由は、留学が「必修」だったこと。父の仕事の関係で小学校の時に10カ月間オーストラリアのメルボルンに住んでいたので英語力を取り戻したいのと、違う環境に身を置きたいと思っていました。それで大学2年生の時、メルボルン大学に1年間留学しました。

──一人でいることが嫌いなのでコミュニティーをつくり、そこに身を置き、自分の居場所を見つけていったという。

 部活やサークル活動は留学することになっていたので入りにくくて、1年生の5月くらいに友だちとサークルをつくりました。「部活入れないもんね、つくろっか」って。大学公認ではなく、国際教養学部生のみ入れるサークルです。国際教養学部は通称「SILS(シルス)」と言われ、そこに入ってくる人たちという意味で「SILSER(シルサー)」です。

 部員は50人近くいたと思いますが、「これやります!」と呼びかけ、来た人たちと楽しむ感じです。花火、バーベキュー、ピクニック、鬼ごっこ。サッカーを普段から観ているわけではないのに、ちょうどワールドカップ南アフリカ大会が盛り上がっていた時で、日本代表のユニフォームを着てみんなで渋谷のパブリックビューイングで応援してました。もうミーハーです。ただ応援したい、日本代表かっこいい!みたいな。めちゃくちゃ楽しかった(笑)。

第1志望は「外資系」

──就職を意識したのは、オーストラリア留学から戻った3年生になってから。「周りがみんなリクルートスーツを着ていて驚いた」と笑う。

 就活のために、「恋愛学」で有名な森川友義先生のゼミに入りました。ダンディーな先生で、就活のバックアップ体制はすごかったです。とにかく厳しく鍛えられました。先生から口を酸っぱくして言われたのが、「社会に出たら理不尽なことばかり」ということ。おかげで社会人になって、ちょっとした理不尽なことにも強くなりました。

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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