──元々アナウンサー志望ではなかった、という。

 第1志望は外資系です。「英語を使って仕事をしたい」と思って。ただ、小さい時からおばあちゃんが「歩美の声を聞いたら元気になるからアナウンサーになったら」と言ってくれていて。だから業種は決めつけず「自分に合ったウキウキできる会社に就職したい、以上!」、このスタンスで、会社を回っていました。それでご縁があったのが、朝日放送でした。

──4年間で得たものは何か?

 とにかく人との出会いです。

 立ち話をするだけの関係の人もいたけど、そういう出会いも私にとって大きかったです。特に早稲田の国際教養学部は、海外志向が強い「珍人」ばかり。ずっと大学に寝泊まりしたり、下駄を履いている人がいたり。一番強烈だったのは、「俺は早稲田の総長になる」って言っていた男子ですね。最初「なんだ、この人(笑)」って思いましたけど、成績も常に上位でやっぱりすごいし、今も連絡を取りあう友だちです。女性も個性の強い人が多くガサツで男っぽい、いわゆる「ワセ女」。もちろん私もそのカテゴリーです(笑)。

──こうした様々な人との出会いによって「サバイバル能力」が培われたと話す。

 どこに行っても、たとえ野に放たれても、どんな環境でもやっていけると自信に繋がりました。社会人になって個性が強い人と会っても、あまり驚くことはありません。仕事でアスリートや芸能人の方との出会いが多いのですが、一人一人の持つ価値観や個性に敬意を持ちながら寄り添うことを心がけています。

──大学生活を始めた学生たちに、「可能性を狭めない方がいい」とアドバイスする。

 高校野球の取材で出会った野球部の女子マネージャーから、「アナウンサーになるにはどうすればいいですか?」と、よく相談を受けます。「これしかない」と決めつけて進むと、振り返った時にそれしかやっていないのはもったいない気がします。私は大学の4年間、具体的な目標にとらわれず流れに身を任せてきました。そして蓋を開けたらこうなっていたので、人生は何が起こるかわかりません。学生時代は、面白いって思ったことをいっぱいやる──。これがいいんじゃないかと思います。

(構成/編集部、野村昌二)

AERA 2024年6月3日号

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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