絵に描いたようなフリーターだった
6月で52歳となる岡部だが、俳優としては遅咲きだ。和歌山県で生まれ、地元の工業高校を卒業後は大阪の建設会社に就職し、現場監督をしていたという。ところがまったくなじめず1年で退職し、地元に戻って『トラックの運転手をしたり、喫茶店でバイトをしたり。絵に描いたようなフリーター生活を送っておりました』(「NEWSポストセブン」23年2月22日配信)と明かしている。
「当時恋人だった現在の妻の後押しもあり、24歳で上京。関西で柄本明さんの芝居を観劇し、感銘を受けたこともあり、彼が座長を務める『劇団東京乾電池』の研究生オーディションを受けて合格したことで役者人生が始まりました。オーディションでは『真っ白なスーツで尾崎豊のI LOVE YOUを歌った』ことや、入団の決め手が『月謝が1万円と安かったのが決め手だった』ことなどもメディアの取材に明かしています。00年に劇団を退団後は、演劇を中心に数多くの公演に出演し、話題のドラマや映画などにも声がかかるようになっていきました」(同)
10年頃から数多くの作品に脇役として出演し続けていた岡部だが、壁を突き破れたのにはある女優の助言があったという。
「同じく名脇役として活躍していた深浦加奈子さんに『自分はふつうで面白くない』と悩みを打ち明けると『そんなことで悩んでるの?』と一笑され、『普通をちゃんとやりなさい』と諭されたとインタビューで語っていました。トガっているだけでもダメだし、作ってやるものでもないと言われ、『あなたのままをちゃんとしたら面白い。普通をちゃんとできる人って、あまりいないんだから』という言葉をもらえたのだとか。この言葉により、岡部さんの芝居に対する考え方が変わっていったそうです。その深浦さんは、残念ながらガンを患って08年に他界しています」(舞台関係者)