私はJASRAC(日本音楽著作権協会)の会員なのだが、もちろん(と、威張ることではないが)あまり著作権のことがわかっていない。JASRACのサイトにいけば、ちゃんと「著作隣接権」「著作者人格権」「知的財産権」等々、むずかしい事柄を(そうに見えるだけ? いやいや、もう漢字の羅列でしかも「権」でとまっているというだけでタジタジですがな ねえ皆さん(^_^;)) やさしくかみくだいて(ほんとかいな?)解説してくれるページがあるので、もし私にやる気があれば、勉強することができる。
けど、やらない。なぜって? そんなこと勉強するよりも、他にやるべきことがいっぱいあるので。
それで時々おかしなことも起きる。JASRACと契約を結んでいる作曲家=著作権者はすべての楽曲の「作品届」を提出する義務があるのだが、例えば「即興演奏」の場合はどうなるか。私はその場で思いつきで弾いて刹那に空間に消えていった、あとで本人ですら記譜できない演奏は「作品として楽曲登録」したくないのだが、JASRACの約款では「著作権信託契約においては、すべての作品の著作権をお預かりして、権利者の皆様に代わって管理を行います」ということで、とどのつまり「作品」とは?の解釈論になってしまうのだが、JASRACの解釈では、信託契約者である私の指から発せられたすべての音はピアノという媒介を通過した瞬間にすべて「作品」になってしまうということのようで、次のようなやりとりがなされることになってしまう。
私「今後一切再現できないその場かぎりの演奏なのですが、メロディを4小節書く欄には、なにを書けばよいのですか?」
JASRAC「即興演奏につき記譜できません、と書いてください」
私「それでも楽曲(作品)として1曲分の扱いでコードナンバーもつくのですよね?」
J「はい、そうなります」
なんかへんですよね?(^_^; 屁理屈を言えば、別に「ピアノという媒介」がなくとも、作曲家=著作権者である私がステージ上で発した「クシャミ」なども作品届を出そうとする意志があれば(そのクシャミは作曲家である私の作曲行為の産物なのだ! はっはっは~)立派な楽曲(作品)になってしまうのではないだろうか。じゃあ、私がうっかりこいてしまったおならはどうなん? これがほんとの「屁理屈」チャンチャン(^_^;
いや、ごめんなさい。別にJASRACにケンカを売っている訳ではないのです。本気で論争したら私なんざあ一瞬で吹き飛んじゃう。そんな弱気でどうする!の声も聞こえてきますが、まあケンカ売るならこちらがまずちゃんと著作権について勉強しないとね。
で、だいぶ前置きは長かったのですが『熱風』の話。ご存知ない方のために簡単に紹介しておくと、これは「スタジオジブリの好奇心」というキャッチフレーズがドンピシャな、ジブリの月刊誌。毎月のテーマが鋭くかつ意表をつくこともあり、ついつい引きこまれてしまう、山椒は小粒でもぴりりと辛いを地で行く小冊子だ。最新11月号の特集が「オリジナルって何?」で、これは私の前フリの「作品とはなにか」ではなくて、「オリジナル作品」というものをどう定義するか。ある作品が過去の作品からどういう影響を受けているか、という特集で、すべての執筆者の方の問題提起が面白いのだが、ここではお一方だけ。SF作家・山本弘さんの「盗作」と「パロディ」と「オマージュ」の境界線についての見解がすばらしいので、それをそのまんま引用させていただく。
元ネタを知っていると楽しめないのが盗作。
元ネタを知らないと楽しめないのがパロディ。
元ネタを知っていても知らなくても支障がないのがオマージュ。
う~ん。言い得て妙ですねえ。すばらしい!
もひとつおまけに、山本さんが紹介されている短編SF「憂鬱な象」の話。かいつまんで引用すると「時は21世紀中頃。著作権の登録はすべてコンピューターで管理されていて、音楽の場合、登録を申請すると、過去に同じメロディの曲がないか検索され、もしあれば拒否される。ヒロインの夫は音楽家だったが、作った曲の多くが申請を拒否されていた。40回目の結婚記念日に、彼は二人の愛を謳い上げた曲を作る。それは美しく、新鮮だった。夫は勇んで著作権登録の申請をするが、過去にそっくりな曲があったとして拒否される。それは夫が子供の頃に人気があった曲で、しかもオリジナルの登録以来14回目の申請だった。ショックを受けた彼はすべての楽譜を燃やし、自殺した」って、ひぇ~~(◎-◎;) これ我々作曲家にとってSFではなくてホラーです。やめて~~…>_