エッセイスト 小島慶子
エッセイスト 小島慶子

 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

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「お客様は神様です」。昭和の大歌手・三波春夫さんの言葉とされています。お客様は神様同然の大事なお方、尽くします!という意味に解釈している人もいるでしょう。サービス精神の鑑だと。でもオフィシャルサイトには、それは三波さんの真意ではなかったと綴(つづ)られています。

 先日ふと(ああ「お客様は神様です」って、お客様は目の前にいる人間ではないよという意味なんじゃないかしら)と思いました。人前に出る仕事をしている私はたまに無礼な人に遭遇した時などに「私はあなたのしもべではないし、見知らぬ間柄なのだから礼節を知れ」と心でつぶやくことがあります。お客様はあなたじゃなくて神さまだよ、と言いたくなることが。と言っても、宗教的な特定の神ではありません。私のいう神さまとは、人間が普遍的に持っている何か尊いものとでも言えばいいでしょうか。それを親しい人の姿や聴衆の笑顔の中に見ている時もあれば、姿の見えない視聴者や読者に重ねることもあります。いずれにしろ、生身の個人の奥深く、かつ個を超えた場所に向かって話しかけている感じです。

「お客様は神様だろ!」。威張りたくなったときにこそ、言葉の意味を見つめなおしたい(写真:gettyimages)
「お客様は神様だろ!」。威張りたくなったときにこそ、言葉の意味を見つめなおしたい(写真:gettyimages)

 三波さんはこうおっしゃっていたそうです。「歌うときには神前で祈るときのような澄み切った心にならねば完璧な芸は見せられない。だからお客様を神様とみて、歌を唄うのです」。そうでなければ人を喜ばせることはできないと。三波さんは4年間のシベリア抑留中に歌で仲間を励ましたそうです。そのつらい経験があっての言葉なのですね。けれど誰しも、祈るような清澄な気持ちでことにあたるときがあるでしょう。そのとき向き合っているのは、きっとあなたの神さまなのです。

 誰かに向かって「お客様は神様だろ!」と威張りたくなったときには「いかんいかん、この人のお客は私じゃなくて神様だった」と自戒したいものですね。

◎小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。寄付サイト「ひとりじゃないよPJ」呼びかけ人。

AERA 2023年4月10日号

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小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。共著『足をどかしてくれませんか。』が発売中

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