「Self as We」という概念が好きだ。「I」だけでなく「We」、「We」にはアバターやAIも入るとの概念。底流に水海道で得た利用者との接点がある(撮影/山中蔵人)

 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年5月13日号より。

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 茨城県南西部の水海道市(現・常総市)は、東京の都心から55キロ圏内。市内を流れる鬼怒川などの流域に水田が広がる稲作地帯で、江戸時代には水運を活かして発展し、大きな農家がいくつも残っている。

 1978年4月に東京の日本電信電話公社(現・日本電信電話=NTT)に入社し、研修を終えて、6月に同市の水海道電報電話局へ赴任した。以来1年3カ月、地域で電信柱を立て、電話線をつなぎ、家々や店などに置く電話器と結ぶ工事に就いた。まだ、固定電話の普及が、全国で続いていたころだった。

電話線の故障を屋根裏で修理してクモの巣だらけに

 耳にした茨城弁は、独特の言葉や言い回しが多い。大阪府で生まれ、京都市で高校と大学を出た身には「知らない土地・知らない人々・知らない言葉」に囲まれた日々。その三つに慣れていくだけで苦労もしたのに、高さ5メートルほどの電信柱に上り、車道につくったマンホールに潜ってする工事は、京都大学工学部の土木工学科で学んだこととは別の「現場作業」だ。

 大きな農家で電話の故障があっていくと、電話線が屋内のどこを通っているかを確認するのが難業。屋根裏に入り、頭や顔がクモの巣だらけになって作業をしたことも、少なくない。そんなとき、終えて屋根裏から出てくると、家の人が「ありがとうございました」と言って、淹れたての茶を出してくれる。答礼していただくと、「お菓子はいかがですか」となる。それは「次の工事がありますから」と言って辞退し、農家を去った。

 1年3カ月で何回、そんなことがあっただろう。電話の利用者、つまり客との触れ合い。電話が新しく引ける、故障した電話が再びつながると、どんな思いになるのか。きっと、暮らしや仕事に便利なのだろう。そんな手応えと、電話がつながったときの利用者のうれしそうな姿が、苦労を忘れる支えだった。

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