電信柱1本から100を超える家庭や店などに電話線がつながり、全国と結ばれていく。電信柱を立て、電話線を引き、修理を重ねる仕事が、その電話網をちゃんとつないで保全する。「これが電話会社の原点」だ、と確信した。澤田純さんがビジネスパーソン人生の『源流』になった、とする体験だ。
ただ、客にいくら喜んでもらえても、こちらが嫌々、仕事をしていたのではいけない。自分が仕事を楽しみ、やりがいを感じていなくては、利用者の思いとの「共振」は起きない。工事をちゃんとできたという満足感に、客の満足感が重なっていくと、思い出すことがある。高校時代に部活と道院でやった、少林寺拳法の教えの一つだ。
力と愛は同じもの自分を強くしてこそ他人へ愛情を出せる
「力愛不二」──「りきあい・ふに」と読み、他人の幸せは大事だが、その前に自分の幸せがあって他人の幸せだ、と説く。その心を「力と愛は同じもの、自分を強くしないと他人への愛情も出せない」と受け止めた。その教えを胸に、足りなかった通信の知識や技術を、独身寮で夜遅くに独学もした。
1955年7月、大阪府池田市で生まれる。両親と姉の4人家族で、父は労働省の所属。大阪府庁で、失業対策など労働行政に従事していた。4歳のときに同府吹田市へ転居し、千里第二小学校、吹田第一中学校へと進む。中学3年生の後半に、父が広い官舎がある京都市への引っ越しを決め、その近くにあった京都府立桂高校を受験。大阪府立の高校は受験が5科目なのに、京都府立は9科目もあり、たいへんで父を恨んだりした。