スマホから情報に接するときは特に注意が必要です。スマホは自分の手のひらにあって中身は完全に「私の世界」ですよね。そこにひどいニュースが入ってくると、「私の世界を汚された。責任者を出せ」という怒りに直結してしまう。新聞や雑誌で読むのとスマホで受け取るのとは、大きな違いがある気がします。
僕は、怒るなら「怒る流儀」を持たなければいけないと思っています。例えば僕の流儀は、怒りを四方八方には向けないこと。深く関心を持つのは1、2カ所にして、ネットの情報ではなく本を読んで調べるようにしています。ネット上の要約されすぎた情報には、誰かが作った扇動や憎悪、敵を決めつける論法が多いからです。
もう一つ、これは僕の独特な考え方かもしれませんが、世の中の悪い面だけを見るのはフェアじゃないと思っちゃうんです。だから、自分自身がこの世界に生きて影響を受けたり、微力だけど影響を与えたりする存在として、悪いものを見た後はいい行いをしようと心がけています。プラマイゼロにするというか、世の中って捨てたもんじゃないな、という面もちゃんと見なきゃいけないと思うんです。
怒りはもっともだけど、厳しい言い方をすると、怒っている時はまだ「お客さん」なのかもしれません。捨てたもんじゃない世の中のために、ギスギスしないとか、人に親切にするとか、少し自分を変える方向に進めたら、世界の見え方が違ってくるんじゃないかと思うんです。
※AERA 2024年5月13日号