東京・渋谷では駅前の大規模な再開発が進行中です。
2020年のオリンピック、パラリンピック開催を前に、今後十数年は東京全体が大規模に再開発され、大きく姿を変えていくことでしょう。
時の流れとともに大きく姿を変えてきた都市には、遺構(!?)ともいえる不思議なものが、今もあちこちに散見されます。
それは例えば「出入りのできないビルの壁に設置されたドア」や「意味不明な路上の突起物」など……。
この不思議なものに「超芸術」を見出した人物こそ、故赤瀬川原平氏なのです。
今和次郎「考現学」と赤瀬川原平「トマソン」
先日、昭和初期に提唱された、都市を観察する「考現学」について紹介しました。
「考現学」は、大正時代の関東大震災が大きなきっかけとして起こった学問ですが、都市が大きく姿を変えるときには、あたかも傷口のようにして何かが取り残されてしまうのです。
そんな現象のひとつ、1980年代に流行した「トマソン」をご存じでしょうか。
都市のあちこちに今も残る不思議な「芸術作品」
「トマソン」は、故赤瀬川原平氏が発見した都市の現象です。
1980年代はバブル経済が膨らんでいた時期。東京もあちこちで再開発が行われていました。
そんなとき、街角で不思議な物体が目につくようになりました。
のぼったものの、入り口がふさがれていて降りてくるだけの「純粋階段」
地上げされて廃業した銭湯跡に残された煙突
窓そのものがなくなってしまったのに、取り残されたひさし
これらは改築などの理由で、役に立たなくなってしまったものが、ぽつんと孤立して残っている奇妙な物体です。
これを赤瀬川氏が「超芸術トマソン」と名づけたのです。
そのような物体は、もはや無用になっているにもかかわらず、むしろ無用であるからこそ不思議な存在感を発しています。
まるで現代美術のオブジェのように存在するそれらには、特定の作者もいません。
だからこそ「超芸術」なのです。
路上観察学へ
1980年代初め、巨人軍に招かれたものの(日本のプロ野球に2年在籍)、三振ばかりの「無用の存在」として、巨人ファンからは「トマ損」と呼ばれたアメリカ人大リーガー・ゲーリー・トマソンがいました。
「超芸術トマソン」は、このトマソン外野手にちなんだ言葉なのですが、ムダな建築物を意味する「超芸術トマソン現象」を生み出した赤瀬川原平氏のアイディアは、1986年に「路上観察学会」に発展し、一種のブームになります。
現在でもフェイスブックには「超芸術探査本部トマソン観測センター」のページがあります。
※トマソンのコレクションページはリンク先参照
1980年代とは比較にならないほど、日本の都市は均質化してしまったとしばしば言われます。
しかし、都市観察といっても、結局はそこに住みついている人間の生態とその細部が興味を引くのでしょうし、「超芸術トマソン」が観察されるのは、再開発の街角に限りません。
人間がそこに生きている限り、どんな時代にもめまぐるしく変化し続ける都市。
それは飽きることのない、芸術性に満ちたワンダーランドなのです。