ジャーナリストの田原総一朗さんは、ジャーナリズムの重要性を説く。
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立憲民主党の小西洋之参院議員が、放送法における政治的公平性の解釈について、当時の総理補佐官と総務省との間で交わされた内容を記した内部文書を公開し、波紋を呼んでいる。総務省はこれを「行政文書」であると認め、同じ内容のものを公開した。
政治学者の中島岳志氏は西日本新聞の論壇時評でこう書いている。
<ここでは安倍政権下で総理補佐官を務めた礒崎陽輔が総務省に強い圧力をかけ、放送法の解釈を強引に変更させるプロセスが記されている。礒崎補佐官は「けしからん番組は取り締まるスタンスを示す必要があるだろう」と述べ、時に恫喝(どうかつ)するような言葉で解釈変更を迫った。政府は長らくの間、報道番組が公平かどうかを見る際、放送局の番組全体を対象として判断するとしてきたが、礒崎は一つの番組だけを見て判断する可能性を追求し、高市早苗総務大臣(当時)の解釈変更答弁につなげた。>
たしかに、2015年5月12日の参議院総務委員会で、自民党の藤川政人議員の質問に対して高市大臣は「一つの番組のみでも、国論を二分するような政治課題について、放送事業者が一方の政治的見解を取り上げず、殊更に他の政治的見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合といった極端な場合においては、一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないものと考えます」と答えている。
実は高市発言を知って、私は数人のテレビジャーナリストと一緒に、発言に対しての強い抗議を示した。しかしその後、高市発言を認めるかのように、複数のテレビ局で政権批判を行った人物が番組から外されるという出来事が起きている。
当時の首相は安倍晋三氏だが、安倍首相の意向を忖度(そんたく)して、“よかれと思って”周囲が暴走し、強権的な政治が展開された、ということなのだろうか。