コンビニ店数の約3倍近い数、約16万基もの古墳が国内には存在する。その種類や造営方法など、古墳見学を楽しむハウツーを伝授する基礎講座を5回にわたってお届けする。第4回は竪穴式石室、横穴式石室など「古墳内部の構造」について。
内部構造も被葬者および
時代によって大きく変遷した
古墳は古代人の墳墓である。その中心部には当然ながら遺体を安置するための施設が設けられた。そこに置かれていた棺は遺体を納める箱、槨は棺を覆う粘土や木炭、石などのこと。石室は棺を安置した空間のことである。
まず石室だが、これには竪穴系と横穴系の2種類が存在し、古墳時代の前期、3世紀の段階では竪穴系が主流であった。墳丘の頂上部に長方形の穴(墓壙)を掘り、その中に埋葬する形式である。墓壙の底に板敷を敷くなどして基盤とし、さらに棺を支えるために粘土を敷いて粘土床をしつらえたり、砂利を敷いたりして棺を安置した。
なお、粘土床などが設けられたのは上位の人物に限られ、下位の人物の場合は粘土床もなく、棺を土中にじかに埋葬する直葬が行われていた。
全体に防腐用のベンガラ、祭祀用の顔料の水銀朱を塗布して埋めて蓋をし、そこに石を積んで厳重に密閉された竪穴式石室、粘土槨、木槨、木炭槨、礫槨、石槨などからは、木棺に納めた亡き首長の遺骸を保護・密閉・辟邪するという思想が読み取れそうだ。
前期末から中期初頭(4世紀末〜5世紀はじめ)以降、古墳の墓室は横穴式石室に変化した。頂上ではなく墳丘の側面に入口が設けられ、墳丘の中心部に向かって羨道が延び、その奥に石造りの玄室がある。これは朝鮮半島の百済の影響を最も強く受けた九州にはじまり、5世紀末に西日本にも広がった。
竪穴系との機能的な違いは、棺を納めたのちも玄室に出入りすることができるという点である。竪穴系の場合は埋められて密閉されるため、塞いでしまうと二度と開けることはできなかった。そのため被葬者は1人が多い(2〜3人の人骨が出る場合もある)。
横穴式の場合も入口は閉塞石で塞がれたが、それを開ければ、同じ石室に複数人を埋葬(追葬)できるという違いがある。ただし、出入りが容易なぶん、盗掘の被害にも遭いやすいというデメリットも見逃せない。被葬者を納めた棺については主に木棺と石棺の2種があった。古墳時代初期は木棺であったため、近現代に発見された木棺は長い年月をへて朽ちてしまい、ほとんど残っていない。ただ、その痕跡から棺の全長が5mから8mという長さに達するものもあったことがわかっている。これは副葬品も棺内に入れるためであったと思われる(2024年2月6日、奈良市の富雄丸山古墳から、奇跡的にほぼ当時の姿のまま残る「割竹形木棺」が出土。木棺内からは金属反応もあり、今後の調査が期待される)。
前期後半からは石棺が使われるようになる。4世紀に木棺の形を石をくり抜いて造った割竹形石棺が讃岐地方に現れている。4世紀末には同じく木棺の形をもとにした舟形石棺が造られ、また同時期から5世紀のはじめには長持形石棺が造られるようになる。これは6枚の板石を加工して組み立てるなど手のかかったもので、被葬者の権威をあらわすもので「王の棺」と呼ばれたりもする。
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