四倉漁港へと続く太平洋沿岸の風景は、東日本大震災後に高い防潮堤ができて、すっかり変わってしまったのが残念だ。でも、潮の香りは変わらず、懐かしい(撮影/狩野喜彦)

 ところが、奇跡的なことが起きた。

 小学生のとき、近くの駄菓子屋で売っていた甘納豆が大好きで、1袋5円で買っていた。くじが付いていて、当たると賞品がもらえるのも、子どもには魅力だった。それを知った母が、あるとき、鍋一杯に甘納豆をつくってくれ、食べ切れないので小分けして同級生らに売った。駄菓子屋よりも量を多くして、同じ5円。くじも付けて、甘納豆を賞品にした。

 近所の神社の境内で、手づくりの紙芝居をやり、終わって売ったら、完売だ。小銭を手に意気揚々と帰宅すると、母に咎められた。友だちにあげるのはいいが、代金を取るなんてとんでもない、と叱られ、一人ひとりに返金にいかされた。叱られはしたが、みんなが紙芝居や量の多い甘納豆を喜んだ。このとき知った「人を喜ばせる楽しさ」が、矢内さんのビジネスパーソンとしての『源流』となる。

 奇跡的とは、崖の近くで、甘納豆を売っていた駄菓子屋の娘だという女性と、遭遇したことだ。歩いていたら「何の撮影ですか?」と声をかけてくれ、話が進んだ。初めのうちは半信半疑だったが、女性がした習字の話に驚き、確信した。

 父は会社勤めの傍ら、自宅で書道教室を開き、周辺の子どもたちに習字を教えていた。自分も教わり、作品を展覧会へ出した。その女性も父に教わり、筆は手のひらに鶏卵を入れているように柔らかく持て、と指導された、と言う。自分が父に教わったのと、全く同じ。さらに、女性が駄菓子屋の娘だったと聞いて、絶句した。

『源流Again』もまた、想定外の出会いを呼んだ。

 次に、30分歩いて通った大浦小学校を訪ねた後、3、4年生の担任だった猪狩慶子さんの家へいく。96歳、変わらぬ笑顔で迎えてくれた。居間へ通してもらい、昔話が始まる。

先生の思い出に頷く「甘納豆事件」生んだ学校の温かい雰囲気

 男子生徒はみんな坊主頭なのに、自分は母の希望で独り「坊ちゃん刈り」にしていた。先生はそれを、覚えていた。5年生になるときのクラス替えの前にやった「お別れ会」を、矢内さんが仕切ったことも紹介する。様々な思い出に、頷いた。当時の学校のいい雰囲気も、蘇る。その温かさが、「甘納豆事件」と同級生らの喜ぶ顔を呼んだ。

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