10月18日〜22日頃は、七十二候「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」。秋の虫が戸口で鳴く時季です。「蟋蟀」は、コオロギであるという説も。はじめは野にいた虫たちが、秋が深まるとだんだん人家に近づいてきて軒下で鳴いたりする、というのです。虫も人恋しくなるのでしょうか。キリギリスといえば、「あの童話」の結末も気になりますね。人間とキリギリスとアリ。それぞれが思う、冬支度とは?

アリ VS キリギリス!
アリ VS キリギリス!
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「虫たちが 冬支度せよと 告げにくる」by人間

「チンチロリン」「ホーホケキョ(法華経)」など、虫や鳥の鳴き声を言葉で表したものを『聞きなし』というそうです。虫の鳴き声は温度によってもテンポが変わり、印象が毎回ちがうものの、見えない場所で鳴いている虫の種類がわかるなんて楽しいですよね。古くはコオロギのことをキリギリスと呼んでいたため、昔はしばしば混同されたようです。
鳴く虫にとって声は、仲間どうしの交信に欠かせない言葉なのです。
コオロギ・キリギリスの仲間では、前翅(ぜんし)が発音、後翅(こうし)は飛ぶため(飛べないものも多い) に使われます。前翅の一部が左を上に重なっていて、この部分を擦り合わせて鳴きます。キリギリスは、ちょっと高めの音で「ギーッ、チョン」。興味のある方は、リンク先で実際の声をお聞きになってみてください。
キリギリスの仲間は、縦方向に平たい(マッチ箱を立てて置いた形のような)体型をしていて、左右の翅を山折りにたたんでいます。東日本にはヒガシキリギリス、西日本にはニシキリギリスが生息し、他にも北海道のハネナガキリギリス、沖縄諸島のオキナワキリギリスなどがいます。
秋の夜長、昔の人は聞きなしした虫の声に励まされながら、針仕事にいそしみました。
声の主は、ツヅレサセコオロギ。リ、リ、リ、リ、リ、・・・と、一定のリズムで10分も20分も続く鳴き声が、日本人には「肩刺せ、裾刺せ、綴れ刺せ」と聞こえたのです。「つづれ」とは 破れたところを継ぎはぎした粗末な服、「させ」とは縫い物の意味。「肩や裾を今のうちに繕っておいて」と、虫たちが冬支度を導いてくれたのですね。
太宰治の小説『きりぎりす』には、縁の下で懸命に鳴いている虫が、まるで自分の背骨の中で鳴いているような気がする、という描写があります。
俗世間の濁りに 心疲れた夜。消灯した暗い部屋でひとり、仰向けに寝ていたときのこと。主人公は「この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きて行こう」と思うのです。澄んだ虫の音は、人の背骨を正させる力も持っていたのでしょうか。

布の感触に癒されます
布の感触に癒されます

「恋もした 歌った夏に 悔いはなし」byキリギリス

イソップ寓話『アリとキリギリス』は、多くの方が子供時代に一度は耳にされたお話ではないでしょうか。夏の間じゅう楽しく歌いまくっていたキリギリスは、冬がくると食べ物がなくなり、アリに助けを求めます。すると、夏に汗水たらしてせっせと蓄えていたアリは・・・(以下略)。
原作では『アリとセミ』だったのを、セミがいない国向けに翻訳された英語版が日本に伝わりキリギリスになったのだそうです。もしセミ版になっていたら、日本人には鳴く姿が必死すぎて「楽しく歌いまくっていた」とはとても思えなかったことでしょう。
ところで、怠け者の権化のように扱われるキリギリス・・・いったいどんな享楽的な夏を過ごすというのでしょうか?
キリギリスは、春に孵化して土の中から出てきます(2〜3年眠っていた卵が多いそうです)。激しい共食いなども経験、脱皮を繰り返し夏に羽化すると、数日後から演奏開始です!
それはいつも晴れた空の下でおこなわれ、自分の存在をアピールし、近くにいるオスどうし競い合う行為。力強い歌声にひかれて、メスが近寄ってきます。キリギリスのメスは、生まれながらの音楽耳。オスの音色をとくに敏感に聞き分けて、どんなに薮が深くても一直線に進んでオスを見つけます。しかも、耳は前足のスネに4つ、さらに胸にまで耳の穴があり、前後左右から音をキャッチできるのです。
メスが急接近すると、オスはお腹を大きく曲げ、翅の下あたりからメスの好きな匂いを出して嗅がせます。メスが匂いに夢中になっているうちに、交尾が成立(匂い作戦成功)。するとオスは、精子の入った 白くて大きな精球(せいきゅう)を作ってプレゼント! メスのお腹の端に付けて、離れます。交尾後しばらくすると、メスは残った精球を食べてしまいます。
やがて産卵が済むと、メスは産卵管の先で穴の入り口を埋め戻します。生まれ出る春の日まで、卵が冷たい風雨を避け、天敵に見つからないように安全な土の中に隠すのですね。
野生のキリギリスの平均寿命は約2ヶ月といわれ、生殖活動が終われば、冬を越すことなく11月までに皆死んでしまいます。

「鳴かぬなら 食べていいかな? キリギリス」byアリ

キリギリスがアリの戸を叩いたのは、ちょうどこの頃。ところで、日本で出版されている『アリとキリギリス』には大きく分けて2種類の結末があることをご存じでしょうか。
A アリに拒絶される(キリギリスは餓死)
B アリに助けられる(キリギリスは反省)
外国版のほとんどは原作に合わせたAが基本で、アリはキリギリス(セミ)を助けないようです。原作のアリは「夏は歌っていたのだから、冬は踊れば?」と笑うほどの冷淡さ。Bが日本特有のものかは不明ですが、その場合でもたいていアリは(歌ってばかりで備えなかった)キリギリスの愚かな夏を(上から目線で)指摘します。キリギリスは深く反省。
けれども・・・何か、おかしいと思いませんか?
そもそもキリギリスは、冬を迎えることができないのです。事情を知らないアリが「あいつ怠けてる」と思うのは致し方ないとして、するべきことを果たしたキリギリスが、なぜわざわざ死ぬ間際にアリのところへ行ったのでしょう?
アリにとって、弱った昆虫は格好の獲物です。ひょっとすると、アリは夏のうちに「寒くなったら食事に来てね」などとキリギリスを誘っておいたのかもしれません。そして空腹のキリギリスが来たら拒絶し、近所で行き倒れたところを巣に引っ張り込む計画(A)。または、「さあどうぞ、中へ入ってご馳走を召し上がれ」と招き入れ、寿命で死にそうなキリギリスを家族のご馳走としてしまう計画(B)。すべて、アリの夏仕事である食糧キープの一環でした(←あくまでも推測です)。
いえそれよりも、キリギリスはみずからアリに食べられに行ったのかもしれません。天寿を全うする姿を見せることで、他人の生き方を愚かだと笑う愚かさを、アリに知らせたくて。
イソップはギリシャでは奴隷の身分でした。生きる知恵をこめた寓話は、字を読めない人たちに口伝えで広まったといいます。「あなたはアリ型? キリギリス型?」と話題になることも多い寓話ですが、自分がなりたい方を選べるということが、きっと大切なのですね。
キリギリスは、人間がつかまえようとすると、ポトリと落ちて死んだふりをするそうです。対人関係の知恵をもつ昆虫・・・秋の夜が寂しいのは、お別れを告げに戸口に立つ虫の気配がするからかもしれません。私たち人間も そろそろ服や食べ物を備えはじめましょうか。

<参考>
『鳴く虫の科学』高嶋清明・海野和男(誠文堂新光社)